2015年3月25日(水)③「日本女子大学での授業」

2015年3月25日(水)③「日本女子大学での授業」

 教会でも神学校でもない、普通の場で聖書を語り続ける喜び、その事実の意味深さについて深まる確信。
思えば、日本女子大学の授業が一つの原点です。渡邉公平先生の定年ご退職後を引き継ぐ形で、日本女子大学英文科の講座『聖書』を、1978年4月より8年間担当しました。聖書そのものを率直に伝達すれば、彼女たちは「尊いアダム・エバ・人間」であすから、確かにしっかり受け止め応答してくれる、毎回試験答案を読むのがなんとも喜びでした。

当時英文科の教授であった新井明先生は、以下のように記してくださっています。
「・・・それまでは英文学科の渡邊清子教授のご夫君にあたる渡邊公平牧師がその科目の担当者であられた。
同牧師が定年でお辞めになるに及んで、・・・そのときに公平牧師先生の愛弟子のお方が来てくださることになったと聞いた。
そのお方が宮村武夫先生であった。よかった! と思ったことであった。・・・先生は生き生きとした授業をしてくださり、学生たちに深い影響をとどめた。(学生たちの様子から、それが分かった。)ことばとしての欽定英訳聖書の面白さは当然として、それがもつ迫力を若い世代に訴えてくださった。その結果、やがては教会に通う身となる若者たちが生まれてきた。
その講義は一九八五年度までつづけられた。学園にとっては恵まれた八年であった。」
(宮村武夫著作6『主よ、汝の十字架をわれ恥ずまじ』巻頭言)。
 
学生方の幾人かとは、今でも幸な交流を続けています、その一人吉祥寺教会で受洗した日本女子大の学生は、現在クリスチャントゥデイで、コラムを担当、以下のものを書いて下さっています。
http://www.christiantoday.co.jp/articles/15283/20150210/tanima-no-hitsuji-1.htm
http://www.christiantoday.co.jp/articles/15404/20150224/tanima-no-hitsuji-2.htm
http://www.christiantoday.co.jp/articles/15516/20150310/tanima-no-hitsuji-3.htm
http://www.christiantoday.co.jp/articles/15646/20150324/tanima-no-hitsuji-4.htm

はじめ執筆の資格がないとこだわっていたのですが、
「人間であれば誰でも」との私の言葉で、決心なされました。
女子大での授業での出会いの波紋は続きます。