私がカメラをもたない、そのわけ

いつものように、ポーンと話しは飛ぶのです。

1963年8月ニューイングランドの神学校へ留学した1ドル360円の当時、出国時に、持参できるのは500ドルまででした。それで、父がキャノンの高級カメラを買ってくれ、「これならいつでも換金できるそうだから、大事にするように」とプレゼントしてくれtのです。
 ところが神学校の本屋さんで、後先をあまり考えないで、ほしい本を購入、そのクリスマスには、カメラを手放すことに。父への申し訳なさもあって、その後カメラを手にする気になれないのです。これが理由です。
 ところが影の声。「本当は、単なる面倒草やりさん」と、君代は冷静に言い放ちます。
こんな私たち二人を、親しい人々の中には、「ぼけとつっこみ」と面白がる、面白い中がいます。