「同時に」の恵み、沖縄で聖書を読み、聖書で沖縄を読む その6

2006年に思いを越えた経過で、首里福音教会を退き、規約上自動的に日本福音キリスト連合から離れるまでは、一貫して日本新約教団から日本福音キリスト連合の一員としての歩みであり、その場での思索・執筆でした。

以下のような日本福音キリスト連合に対しての発言は、各個教会主義に対する批判、さらにはイズムでなく、イズミ・泉の提唱でした。

ある後輩の牧師が言われたしように、日本クリスチャンカッレジと日本新約教団を私は生き続けているのでしょう。
JECAフォーラム
2003年9月25日 NO. 57/58
「窓」
「同時に」の恵み

[1]序
年を重ねる恵みを、多少の負け惜しみを含め、日々味わい喜んでいます。

[2]「主はただひとり」
申命記6章4節に見る、「主はただひとり」の宣言は、旧約聖書を貫く大動脈です。さらに新約聖書に一貫した基盤である事実は、マルコ12章29、32節、ヨハネ17章3節、Ⅰコリント8章4、6節などの熟読により確認できます。

[3]同時に
「主はただひとり」。同時に、主イエスに対して、「私の主、私の神」(ヨハネ20章28節)と明白な信仰告白。この信仰は、自らを神と意識し(ヨハネ8章58節)、そのように教えなさった主イエスご自身からの賜物です(ヘブル12章2節)。

また聖霊ご自身の神性は、主イエス聖霊を汚す罪の教え(マルコ3章28、29節)において、特に鮮明です。

[4]結び
「主はただひとり」。「同時に」、御父、御子、御霊の全き神性を持たれる、三位格を信じ告白する恵み。そしてすべてを「神において」考えるのです。ですから、各地域教会こそ教会、「同時に」JECA全体が教会と私は公言するのです。

「同時に」の恵み。この泉・イズミ(詩篇36章9節)をカルヴァン主義や各個教会主義などイズムにすり替えないと自戒。年を重ねる恵みへの応答、老恩師への感謝表明なのです。
(沖縄地区 首里福音教会 宮村武夫)」