沖縄で聖書を読み、聖書で沖縄を読む その5

沖縄での25年の生活で、それなりの苦労をしながら、喜んで分を果たした役割の一つは、依頼原稿の執筆です。
 以下の、「まず十年、やっぱり三十年は」は、『百万人の福音』誌の依頼によるもので、提唱した高校への継続的祈りを、現在卒業した高校のため実践しています。
 沖縄の全高校のための祈りのグループの誕生と継続は、依然として、見果てぬゆめです。しかしあきらめてはいません。毎年2月の沖縄訪問・宣教の際は、この課題を語り続けています。

「まず十年、やっぱり三十年は」

[一]序
春三月、身近でいろいろ卒業式の話題を耳にすると、学びの場を改めて思い起します。小学校、中学校や高校時代、その一つ一つがいかに掛け替えのない主なる神の賜物であるか、キリストにある神の恵みを直接聞き信じる以前から、あすこにもここにも神の先手の恵みが待ち伏せしていたと気付き、驚きます。

1957年、四十年前に高校を卒業しました私の場合、思いもよらないことでしたが高校時代に主イエスに従う恵みに預かり、同じ高校を通し与えられた信仰の友は以来尊い宝。現在から将来に向けての共働者です。同窓の一人が、隔月に出してくれるミニ機関紙により、信仰の励ましを受けます。また百年も前の古い卒業生を含め、一つ高校の卒業生たちが直接また間接どのようにキリストの福音とのかかわりに与えられていたか報告を聞きし、年代や世代を越えたキリストにある交わりの豊かさを味わうのです。

[二]マタイ18章19、20節の励まし
「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです」(マタイ18章19、20節)

「ふたり」とは誰か、今、「ふたり」を、同じ高校を卒業した同窓生と受け止めたいのです。さらに自分の子供の高校や近くの高校を里子のように受け入れ、ふたりの一人、三人の一人として加わる場合も祝福に違いないと、二人の里子の親としての経験から確信します。

1993年5月1日現在の調べで、全国に5501の高校があるそうです。四十五年も忠実に高校生への宣教に専念して来られたSさんから、この数字を聞いて、意外に少ないと身近な数名が等しく感じました。

[三]一つの提唱
四十年間、出身高校のために祈って来た数名の者たちが現に受けている祝福の経験から、一つの提唱したいのです。まずふたり、できれば三人が出身高校のため心を合わせて祈り続けることを申し合わせ、実行するのです。祈る者も祈られる高校も共に祝福されるはずです。

この話しをしたら、身近にいる宣教師夫人は、同窓の北海道で牧会しているK牧師に連絡し、東京西多摩の母校・S高校のために具体的祈り始めると嬉しい連絡を受け取りました。

沖縄には65の県立高校と4つの私立高校がある由、小さな私たちの教会でも、数組の祈りのパートナーが考えられます。まず沖縄の69の高校すべてについて、ふたりが三人が心を合わせ祈り続けて行くよう願います。祈りのパートナーを紹介したり、何校が今祈られているかなど、背後にあって忠実に事務的な連絡を引き受けてくれそうな方も心当たりがあります。

[四]結び
中・高生時代に、キリストのご真実を味わった者たちが、今のまたこれからの中・高生たちに、同じ恵み経験してもらいたいと切願するのは自然です。当然です。その一つの働きとして、沖縄本島北部本部半島北西、東シナ海に位置する伊江島で、私たちは春と夏中・高生キャンプを続けています。小さな歩みを積み重ね、山形の独立学園高等学校、三重の愛農高校、島根の愛真高校の流れに学びつつ、伊江島主僕高校実現をと夢見ます。そして新しい高校と同時に、私たちが育てられた高校のため、ふたりまた三人が、「まず十年」、「やっぱり三十年は」祈り続けたら、どんなに幸いか。ほんの少々のお金しかなくとも、十年、三十年継続でき、また継続が必要なこともあるのでは。