この父、この友

 1958年4月、日本クリスチャンカレッジに入学、寮の同屋は4名。現在まで、親しい交流を重ねれいるF兄から、昨日メールを頂き、喜び。
 F兄は、ず−うと後年になって私が初めて認めることが出来た父の父らしさを、初対面から見抜き、好いて下さっていたのです

「お元気でご活躍のご様子なによりです。
8/30のユーチューブ拝見?しました。
久しぶりにお父さんのこと思い出しました。

JCC時代よく御馳走になりましたね。
すき焼きを御馳走になりに行ったあるとき、電話を受けておられたお父さんが「…相手を信用しないお方とはお取り引きできません…」と、きっぱりとした口調で話されていたことを覚えています。
お働きが祝されますように。
2014.8.30 FN」

あの当時、父は、江東区大島7丁目の広々とした石炭の貯炭場の一角に、母のアイデアを多く生かした自宅を新しく建て、私たちの家族は、小岩から引っ越していたのです。
 父は、あの土地を、何と、現在毎週動画を集録してくれている岩崎淳兄の祖父・大島の大地主から借り受けていたのです。その事実を、50数年後市川での出会いで知り驚いたのも、私たちのコンビの絆が堅い理由の一つです。