愛の波紋・神学教育

愛の波紋・神学教育

神学校で恩師に出会えた恵み、それは徹底的に愛される経験と理解しています。人は徹底的に愛される経験なくして、他者を徹底的に愛することはできない。徹底的に愛するとは、存在の喜びの注ぎであり、あの条件、この条件を満たす、あの条件を満たさないだけの話ではない。ましてやそろばんをはじくことなどでは決してない。

 小さな、不足だらけの神学機関であっても、教師が学生を徹底的に愛することは出来るし、学生は徹底的に愛されることできる。その時、その学生は、生涯どのような立場で生かされようと、接する人に対して、条件やそろばんではなく、存在の一点で結びつき、愛の波紋の広がりの中に生かされる、今までそのような実例を見る恵みに与り続けてきました、またそう確信し、これからも祈るのです。
 たとえ神学校教育の道は塞がれても、神学教育の道はますます盛んにと、愛の波紋の学恩への応答に心熱くするのです。