人生を導き教会生かす、レビ記通読の手引き          19章

レビ記19章

(1)19章の中心と枠組み

①中心
神の民としてのイスラエルの生き方.
19章2節、「「イスラエル人の全会衆に告げて言え。
 あなたがたの神、【主】であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。」
「あなたがたの神、主であるわたしが聖」と、主なる神ご自身のご性格が「あなたがたも聖なる者とならなければならない」と、神の民の間でもそれなりに現実となることが許され、期待されています。
この道は、神の像に似せて創造された人間(創世記1章27節)が、真に本来あるべき人間、人間らしく人間として生きることに外ならないのです。
 この道は、「あなたがたの神、主であるわたし」とあるように、神を「主」と呼ぶ恵み(出エジプト記3章13、14節)、つまり出エジプトの救いの出来事・救いの恵みが土台となり基盤となっています。
参照 出エジプト記20章2節と3節以下の関係。
わたしはあなたがたの神、あなたがたはわたし(主なる神)の民(わたしとあなた・あなたがた、我と汝)である恵みの関係(契約関係)がはじめであり、終わりであり、すべてのすべて(3、4、10、12、14、16、18、25、29、30、31、32、34、36、37節で繰り返し言及さ)、この土台の上にすべての命令や勧めは与えられているのです。

②枠組み
実際には、19章2節、「イスラエル人の全会衆に告げて言え。
 あなたがたの神、【主】であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない」に明示されている原則に基づき十戒が示され、十戒の精神が生活の全領域に及ぶように展開されて明らかにされているように、神の民としての生き方は多方面に渡り、人間性の隅々まで及びます。
そのいずれについても、一貫して具体的実践的面が重視され、時代的また地理的背景の違いがありますが、ここに明示されている道の根本は、時と場所の壁を越えて少しも変わらず私たちの進むべきものです。その軸は、主なる神との関係(信仰)と人との関係(倫理・・・他の人との関係・社会倫理、自分自身との関係・個人倫理)。信仰と倫理は不可分、まさに礼拝の生活です。

(2)きよめ・聖化
キリスト者・教会の歩みにとりきよめ・聖化とは、地上での生き方・あり方そのもので、心、生活、生涯、社会・文化すべてにかかわります。
地上での生活が礼拝の生活として受け止められるとき、私たちの天国の理解も、もう一度、聖書に正しく、深く、豊かに聞くことを求められます。
エデンの園で、アダムとエバが耕す者として文化命令を与えられていたのであり、裸でただ遊んでいたのではないように、天国は永遠の眠りとかたポーとしている所ではないはず。天国の明確な聖書に基づく理解こそ、葬式の神学において不可欠の大切な課題です。 

(3)19章の分解
①1ー8節
十戒の前半、神への恐れの課題が根底に。
3節、両親への態度(家庭)と安息日尊守(地域教会)の結び付き。この二つは最も根源的な勧めで切り離せないのです。
その背景には、、創世記1章の創造の記事に見る、光・水をはじめ環境の一切に依存する人間存在の実態、さらに両親に対する依存の事実があります。
家庭と教会の生きた関係が浮かび上がります。

②9ー18節
十戒の後半、人への愛。
注意すべきは9節、「あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない」で、ここに見るのは、明らかにカナン入国を前提としての社会倫理の基盤です。
 17、18節、「・・・すべし、・・・すべからず」の課題だけでなく、憎しみや復讐など、それらの課題の一番奥の根底に触れています。
しかも愛せよと、これ程まで主なる神に愛されている者として積極的な生き方が課題です。
 
◆18節後半
最初は否定的命令が多いが、14節は、「あなたの神を恐れない」と積極的命令。17節の中段、「あなたの隣人をねんごろに戒めなければならない」。
18節後半、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは【主】である」、もっともすべてを含む積極的命令の提示です。
愛と戒め、
出エジプト20:6、「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである」。
ヨハネ15:10、「もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです」。
「自分を愛するように」との自己愛は、罪深い自己中心な自己に死ぬことが真に自分を愛する事実を指し示しています。
ローマ6章11節、「このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい」。

③19ー25節
所有権の配慮と秩序。
23節、「あなたがたが、かの地に入って、どんな果樹でも植えるとき、その実はまだ割礼のないものとみなさなければならない。三年の間、それはあなたがたにとって割礼のないものとなる。食べてはならない」。カナン入国後と将来への備えが常に意識されています。神のことばが、荒野を旅する民から定着の民と環境が変わり、経済構造の変化に直面しても、心の奥深く刻まれるようにとの深い意図を見ます。

④26ー31節
風習や習慣。ここに取り上げられている一つ一つ異教的な行為は、偶像礼拝とかかわり、神殿娼婦など、それらとの決別が求められます。
29節、「あなたの娘を汚して、みだらなことをさせてはならない。地がみだらになり、地が破廉恥な行為で満ちることのないために」。家庭の重要性が再度強調されています。
 31節、将来への不安から様々なまじないに走ることもきっぱり断絶。

⑤32ー34節
老人への配慮。在留異国人に対しても、34節,¥、「あなたは彼をあなた自身のように愛しなさい」と積極的な勧め。

⑥35ー37節
正しいはかり、公正な商取引など公正の重視です。17節や18節と同様な原理。すべての根拠に、「あなたがたはわたしの民、わたしはあなたがたの神なのだから」の恵みの関係、恵みの事実が支えとなっています。

☆全生活、全生涯の全領域は、神の恵みの主権のもと、最も日常的な面を含めて、礼拝の民・自由の民の恵みへの応答の場、礼拝の生活の場です、感謝。