「二つの道」『礼拝の生活』再考その131

★1年前後休んでいました、『礼拝の生活』再考を再開します。
1970年代、日本新約教団青梅キリスト教会で週刊で出していた、『礼拝の生活』の巻頭言を再録、2014年の現時点で再考。
 この営みにより、40年の年月を越えて一貫と進展の両面を、様々なマイナス面を承知しながら確認できれば幸いです。

1973年6月3日
『礼拝の生活』
(巻頭言)「二つの道」

 先週主日礼拝に、入船尊宣教師を迎えて伝道礼拝を持つことができ感謝でした。新しい方々の出席は、期待に反するような結果でした。具体的な宣教活動について、今後とも真剣に祈り、考え実行していきたいものです。
 
 ところで、入船先生を通して、特に強く教えられたことがあります。新しく教えられたというより、改めて教えられたといった方が適当でしょうか。
それは、私たちにとって、主イエス・キリストを通して現実となる父なる神に対する信仰は、私たちが自分なりの標準で幸福になるための一手段ではない事実です。私たちが、主イエス・キリスト尊い贖いによって、天地万物を創造し支配なされる全能の神を、父と呼ぶ特権を与えられるのは、そのことによって新しい生き方を始めるためなのです。つまり神の国の発展のために、自らの生涯をもって仕えていく人間本来の生き方を始めるためです。
信仰を単に自らの幸福のための一手段と考えるか、または神と人に仕えて生きる人間本来の道と考えるか。これはまさに私たちの前に開かれている二つの道です。このいずれの道を選びとっていくかによって、私たちの信仰の体質は、根本的に決定してしまいます。この大切な選択について、入船先生を通して強く教えられました。
 私たちは毎日の生活の中で、この選択に直面します。そして、自らの幸福という枠の中だけで信仰を考える限り、私たちのキリスト信仰は、遅かれ早かれ名前だけの内容のないもの、どうでもよいものになってしまいます。信仰の風化現象です。


☆2014年4月17日再考

 40年後の今も、入船尊宣教師の青梅訪問をよく記憶しています。
実は、入船先生とは、人生を通じて数回お会いしており、いずれも忘れがたい思い出として心に残っています。
①1957年、伊予松山で。入船先生は、愛媛大学の学生で、松山の改革派教会。
私は高校を卒業後、万代恒雄先生の松山の開拓伝道の手伝いで松山福音センタ−。
二人は、直接会う機会はありませんでした。
 しかし改革派教会から松山福音センタ−に転じられたW姉から入船大学生のお名前を聞き、はっきり記憶ひているのです、どうして覚えているのか不思議な気がします。

②1986年沖縄へ移住した結果、日本福音主義神学会の東部部会から西部部会へ私は移籍しました。
沖縄から関西の部会へ出席できるように、神戸ルーテル神学校の鍋谷先生が中心になって、神戸のルーテル神学校と改革派の神学校の合同授業で講義を担当する機会を計画実行して下さったのです。
 その際、改革派神学校の窓口となって、配慮の行き届いた言動を持って支えて下さったのが入船先生でした。すがすがしい入船先生の姿に、宣教牧会者・牧会宣教師また牧会神学者・神学牧会者の見事なブレンドを見たのです。
  
③沖縄滞在中の懐かしい思い出です。ある年、沖縄福音連盟の新年聖会の講師として入船先生をお招きすることを提案。
 提案は認められ、詩篇22篇から忘れがたい講解説教をして下さいました。
 接待の責任を与えられた私は、入船先生と個人的に交わる稀有な機会を与えられたのです。インドネシアと沖縄の比較などを中心に。
 2014年のイ−スタ−、入船先生を思い世界宣教へ心開きます。
世界宣教を抜きに、主イエスの復活を記念できないと思いつめながら。