『喜びカタツムリの便り』特別号

喜びカタツムリの便り特別号
発行者 日本センド派遣会総主事 宮村武夫
〒133-0051
東京都江戸川区北小岩2−8−8−402
メ−ル・アドレス:miyamura@send.jp
携帯番号:090 -3323 -2206
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NO.特別号2014年 3 月29日(土)

ゴルゴダ
担われ進む カタツムリ
イザヤ書46 章3、4 節
「わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。
胎内にいる時からになわれて おり、
生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。
あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う 。
わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。
わたしは背負って、救い出そう。」

ゴルゴダ
担いて歩む カタツムリ
マタイ11 章28、30 節
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人 は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って 、
わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、
わたしの荷は軽いからです。」

[1]序
2014 年1 月28 日−2 月20 日(木)沖縄訪問・宣教から祝福に満たされながら戻って直ぐ、3 月5 日(水)京成小岩駅から徒歩2 分の所に引っ越しました。
末子の嫁・うちなーんちゅのまどかさんと末弟三郎の長男義人君の全面的な助けで、私の左半身不自由な現状の中で、とにかく荷物を全部運び込めました。

[2]親友のことばに励まされて
折しも、60 年近くキリスト信仰の歩みを共にしている吉枝隆邦君が、私の著作集の巻頭言のた
めに書いてくれた文章が編集委員会から送られ、小岩に戻る意味に言及しているのを読み、覚悟を新たにしました。以下の文章です。

「徹底した聖霊信仰」・「徹底した聖書信仰」の背景にある歩み
吉枝隆邦
宮村武夫君と僕は開成高校の同期生で、60 年近くの主にある友情を結んでいます。
僕は数人の友達と一緒に学内で聖書研究会を組織していましたが、彼は高1で救われたのに僕らとは関係がありませんでした。
教室で弁当を食べる前に感謝の祈りをしていると友達が「何をしているんだよ」と聞くので「神さまに食前の感謝をしてるんだよ」と言うと、「ケチくせえなあ。一組の宮村なんか大声でやってるぜ」と言われて、大声で感謝の祈りをするなんてどういう信仰の奴なんだろうと、不審に思ったのが最初のふれあいです。
 その時思ったとおり彼は教えられたことを人目をはばからずに実行する人でした。
 高校3年の春に掲示板に海外の神癒伝道者の記録映画を上映するポスターが張り出されていてびっくりしまいました。僕たち聖書研究会の存在を無視している、貼り出し責任者の宮村ってのを呼び出そう、ということになって彼と話し合った結果、彼も了解して今後は協力して学内の伝道をやっていこう.ということになりました。高3秋の文化祭では力を合わせて心に残るほどの証し伝道ができました。

 僕は高校卒業と同時に日本クリスチャン・カレッヂという聖書学校に進学しましたが、宮村君は恩師万代恒雄先生が教団を離れて四国の松山で開拓伝道を始めたのを手伝うため3学期から行ってしまいました。卒業式に帰ってきてすぐに松山へとんぼ返り、夏に帰京してHi-B.A. キャンプのカンセラー奉仕を僕と一緒にやりました。翌年4月から彼は日本クリスチャン・カレッヂに入学してきました。実地に伝道してみて勉強が必要だとわかったからだそうです。その時の卒業論文が『主よ、汝の十字架をわれ恥ずまじ』として著作集第6巻に載せられています。僕の卒業論文とは全く行き方の違ったものでした。

 彼自身言っているように、「徹底した聖霊信仰」はその背景から形作られたものでしょうが、後の学びによって消え去りもせず、「徹底した聖書信仰」がそこに加わって無敵のものになるまでには日本クリスチャン・カレッヂ卒業後のアメリカ留学で、複数の神学校及び日本のカトリックの神学校での学びと研鑽が役に立っているのでしょう。

 60年近い交わりを通して宮村武夫君の特長を書き留めると……
1 人との出会いをいつまでも大切にする人です。高3の時、聖書研究会の指導者とは別に、毎週賛美歌指導に来てくださった山田 亘わたる先生(西東京キリスト教会牧師)と今も交わりがあり教会の奉仕に招かれているのも一つの実例です。そればかりでなく一度会った方を忘れないで交わりを継続している例がたくさんあります。救いに導かれた母教会の現在の吉山宏牧師(小岩栄光キリスト教会)も彼をこの教会出身の最初の牧師として紹介して下さり奉仕もさせてくださっています。

2 人の言い伝えに捕らわれずに意表をつくような名前の神学を発表する神学者です。いわく「台風の神学」、「なりゆきの神学」、「聖書で沖縄を、沖縄で聖書を」などありますが、さらに挙げたらきりがないほどです。You Tube で見聞きできる「童謡説教」は一度視聴してみてください。

3 絶えず前進していきながら前のものとは断絶しないし、むしろそれを土台としてふくらみを増して行く人です。聖書学校で教えていた時の教え子たちが著作集をと願ってこの著作集の出版を実現させたのも教え子に対する彼の変わらない関心と愛に対する応答と見るべきでしょう。
 彼が小学校4年生から高校時代まで過ごした、東京都江戸川区小岩に最移住したのも
同じ心です。
 このような点を理解して著作集を読めば取り上げられている主題がなぜそうなのかがもっと良くわかるでしょう。多くの方に読んでもらいたいと願っています。(日本同盟基督教団 赤羽聖書教会協力牧師、Hi-B.A. 責任役員)
二〇一四年○月」

[3]3 月23 日(日)の恵み
 3月23 日、歩いて7 分母教会・小岩栄光キリスト教会の主日礼拝に出席でき、特別の恵みです。
 1955 年3 月22 日に小岩公会堂に、母の言いつけで、中学生の次弟を迎えに行きました。なんとそれは、小岩教会の伝道集会だったのです。
集会後、定時制高校で学ぶ同じ高校生(現宇都宮栄光キリスト教会 秋本幸二牧師)から個人的にプレゼントされた、一冊の文語訳新約聖書を通して、キリスト信仰に導かれま した。
そうです。60 年を経て、杖をついてですが母教会の主日礼拝に歩いて、出席できるのです。嬉しいじゃありませんか。

 さらに夕刻には、高校が決まり一人で初めて関東に来た孫娘・めぐみを、君代と新が羽田まで迎えに。まどかさんに姪の英恵と恵利華の二人も加わり、総勢7 名で小岩での食事の交わり。

[4]4 月からは
 宇都宮キリスト集会の牧師としての役割により集中すると共に、
今までもコラムに宣教を掲載して来た、クリスチャントゥデイにより深く関わります。
インターネットを通じての宣教活動、思いを越えた導きです。

★2014 年4 月から2015 年3 月まで、以下の主日礼拝の宣教が可能です。ご連絡頂ければ嬉しいです。
5月4日。6月22日、29日。7月6日。8月3日、31㈰。9月7日。10月5日、12日。11月2,23,
30日。12月7日、28日。1月4日。3月1日、8日。
主日礼拝の他、修養会、聖会、セミナーなどでの集中的宣教の機会についても。

☆SEND International
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