沖縄でダニエル書を読む     その14

「しかし、さばきがおこなわれ」
         ダニエル7章19−28節
[1] 序

 主日礼拝で、成人式を迎える方々のため祈りの時を持ちます、感謝です。
 群れとして、毎年、成人式を迎える方々を送り出すためにも、主日礼拝に出席している
子供たち・教会学校の子供たち一人ひとりを大切にして行きましょう。
 今朝は、先週の先週の7章前半に引き続き、後半を味わいます。初めに19節から22節、続いて23節以下を見て行きます。

[2]「その角は」(19−22節)
(1)19、20節
①ダニエルの意図、「それから私は、第四の獣について確かめたいと思った」(19節)。

②「第四の獣」の特徴
「突然、第四の獣が現れた。それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは前に現れたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた」(7節)。
「それは、ほかのすべての獣と異なっていて、非常に恐ろしく、きばは鉄、爪は青銅であって、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。」(19節)

(2)「その角」(21、22節)
①「一本の角」の迫害のもとで、神の民の多くの者が苦悩する(21節)。

②神のさばきが行われ、聖徒たちが国を受け継ぐ(22節)。
神のさばき、この一事をダニエル7章では、10節「さばく方は席に着き」、
26節「しかし、さばきが行われ、
  彼の主権は奪われて、
  彼は永久に絶やされ、滅ぼされる」においても強調している。

[3]解き明かしの内容(23節から27節)
(1)21節を詳しく説明している23節から25節の部分。
第四の獣、十本の角、もう一本の角(もうひとりの王)について。

(2)22節を詳しく説明する26節と27節。神のさばきの事実。

[1]結び 
 ダニエルが、バビロンの王ペルシャツァルの支配の世に生きる者として、世界の歴史全体の流れを大きく見通す必要があったように、私たちも聖書の歴史の見方にしっかり立つ必要があります。
 聖書の歴史の見方には、ダニエルの場合のように、少なくとも三つの点を含みます。
(1)悪を軽んじない。その現実的力を無視しない。
 
(2)神の民が現実の歴史の歩みにおいて、Ⅰペテロ5章8節に見るように、苦しみを経験し苦悩に直面する事実を承知する。
 「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」
 世界の教会の現状に注意を払い続ける必要があります。

(3)神のさばき、神の勝利の確信。
 主日礼拝は、そしてん私たちの日常生活における礼拝は、御座に坐するお方を賛美することにほかなりません。
「「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」(黙示録5章13節)。この礼拝に生かされる者として、日々確信をもって、
「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから」(Ⅰコリント15章58節)と、励ましを受けつつ礼拝の生活を積み重ね、礼拝の生涯を歩むのです。