「哀歌講解説教 ―哀歌をともに― 」をめぐる対話、その1

 拙書「哀歌講解説教 ―哀歌をともに― 」をお読みくださった、北海道の友人牧師から、以下のような心のこもった葉書を頂きました。
 日本福音キリスト教会連合時代、神学委員会で共に労する機会を与えられ、主にある信頼の絆(Ⅱコリント7章)で結ばれ感謝しています。
 先生の福島の実家についての記述、胸に迫ります。お許しを得て紹介します

主の平和 2014.1.22
「哀歌講解説教」をお送り下さり感謝致します。一読し、<悲しむ>ことなしに<慰め>がないこと、<絶望>の淵に立たされてこそ<主を待ち望>むことができることがよく分りました。家内も読んでおります。
 三年前、福島第一原子力発電所の爆発で、浜通り中通りには死の灰が降り注ぎ、放射線管理区域と化しました。その結果、私は、古里、楢葉町浪江町を喪失しました。
 2011年3月12日以来、うめきつつ希望をもってが私のスローガンとなっております。
 このたび「哀歌講解説教」から慰めをいただきました。妹が1月2日、楢葉町の瓦屋根の崩れた実家に赴き、母の着物の整理をしてきたそうですが、除染が済んだものの、人の住まない家の中をネズミが走り回り、家も町も人が暮らせる状態ではないと電話で話してくれました。
 御家庭、御奉仕の上に主の恵みが幾重にもありますように。 在主