台風の神学 試論

 今回の台風を迎える中で、沖縄での25年の営み、沖縄で聖書を・聖書で沖縄を、今一度覚えました。
 そして以下の一文を読み、再考の小さな一歩を。

伊江島中高生キャンプ継続の中で台風の神学への一歩ー
 『首里福音』477号(8月18日)に,「・・・,伊江島中高生キャンプが台風12号の影響で15日(木)ー17日(土)に延期されたことをめぐり,幾つかのことを考えされ教えられました.以前青梅キリスト教会でもみの木幼児園の運動会と雨の関係で教えられたことと重なります.しかしさらに沖縄では台風(石島英,『台風学のすすめ』,副題「沖縄からみた,台風自然と風土」)とのかかわりでどのように歩むべきか,年ごとの課題として,より連続性のある課題です.」と記しました.
 
 実は,『台風学のすすめ』の著者石島英先生に著者紹介の欄に載せられていた現住所に,感謝の意を現したく以下の手紙を差し上げました. 「拝啓.
   突然,お手紙いたします失礼をお許し下さい.
  私は,西原幸地に位置します首里福音教会の牧師ですが,先週の主  日礼拝において,貴書『台風学のすすめに』言及,紹介させて頂きました.天と地の創造者を信じる者として,沖縄で台風をどのように理解し日常生活で受けとめるかの課題について,貴重な基礎的、実証的知識を与えてくださり感謝いたします.感謝のしるしとして,以前幼児教育の責任を持っていた頃,雨の日の運動会をめぐり書いた一文を含む,拙編書(『存在の喜び』)を同封します.ご笑納くだされば,嬉しく思います.
 ご研究に祝福がありますように.
      96年8月23日 宮村 武夫
 石島 英先生 」 

 ところが,石島先生から,お忙しい中,以下のお便り頂きされました. 「宮村武夫様
   先日は,御書『存在の喜び』をいただき感謝しております.福音  教会の牧師をされつつ幼児園の責任者としても永く尽くされた御経験の上に書かれたようで,宮村さんお人間論,教育論が伝わってくるのを感じます.
 拙書『台風学のすゝめ』を読まれ,ご利用下さり有難うごさいました.台風を沖縄特有の自然環境の一つとして真剣に位置づけてみたいと思い取り組んでみました.当本が御目にとまり御紹介いただいたこと光栄に存じます.
 蛇足になりますが,最近は「熱帯,亜熱帯を考える会」を結成し, グローバルな環境問題に関心を寄せつゝあります.
  貴殿の御多幸,御活躍を祈ります.
平成8年8月31日
石島 英 」
 
 このお便りを頂き,台風についてさらに考えを重ねている中で,F,B.マイアー原著,小畑進編著,『きょうの祈り』の9月5日の祈りとして,ナホム1章3節,「主の道はつむじ風とあらしの中にある」を引用して,以下のようにあるのに導かれ同じことばで祈りました.
 「万軍の主なる神さま.
  嵐は乾いた大地と人々に,待望の水をたっぷりともたらし,木々か らは不要,無用の枝葉を取り去り,季節を移り変わらせます.
  嵐は一見,恐ろしく,災難のかたまりのように見えながら,その反 面,他のまねすることのできない役割を果たしているのです.
  ナホムは,復讐の神,怒りの神,憤りの神を人々に指し示した雄偉 (ゆうい)な預言者ですが,彼は,主は怒られるが,怒るのに遅いお 方,それも,つむじ風と嵐の中にも道を用意しておられるお方と,誤 つことなく神を見ていました.
  いつも,そよ風の中で眠りこけ,順風に舵(かじ)をまかせている 者に,旋風を見舞い,烈風を送って,ご自身をおそれさせるのはあな たです.このことで気づく幾つかのことを思い出して祈ります.)

 
 この祈りは,台風の神学に大切な方向を指し示すもので,ナホム書の学びを促すものです.
 
 実は,四国香川県の小畑先生からお便りを頂いたばかりでした.
 「頌主.
  どこまでもどこまで行っても蝉しぐれ
  宮村先生!おくさま.思いがけない,ご丁重なおたよりかんしゃします.
  渕上先生は心より敬愛し,おせわになりっぱなしです.また福永一家のこと有難うございます.
  週報,首里福音で御教会のことを伺い,開成キリスト者では,「あ あ,開成に行けばよかった」と,今になってうらやんでいます.伊江島は,戦争の惨劇のあとかたもなく,なんと,主僕高校の候補地ですか!五十一年たったのですね.
  当方,たった独りという重圧で,おしつぶされそうですが,両目の手術を終えて,よく見えるようになりましたので,今度は危険も少なく,自転車をのりまわして,未踏の奥地まで入りこんでいます.
  人っ子一人見ぬ,山の道,川の道の中を走りながら,夢のようです. ただ無用な活動でなく,結実を,結実を,と願っています.
  池戸(いけのべ)のしんぶんをお贈りします.
  よい秋の戦を!
1996年8月22日(木) 」 

 沖縄の地での台風の神学は,各地にあってそれぞれの持ち場,立場で主なる神の恵みに応答すべく歩みを重ねている方々との主なる神にある連帯の中で進められることを思わされます.上記のお便りは,以下のようなこちらからの手紙に対する間髪を入れない返信でした.
 
 「頌主.
  三月には,懐かしいお葉書を頂きました.直ちに返事を書くことが できず.失礼しました.J.B.フィリプスが彼の自伝,『聖書翻訳者の成功と挫折』の中で明らかにしている病との,勿論,フィリプス先生 と比較することなどできないのですが,それなりの戦いの中でした.  
 小畑先生が,四国の地で「激忙」の生活を送られている様子が目に浮かぶようです.四月に,丸亀聖書教会の渕上先生にお会いした際,小畑先生から電話を頂くの楽しみなのだと話しておられました.小畑 先生の激忙の内容が,一人ひとりに対する深いご配慮に根差すもので あると教えられます.
  私ども,沖縄で十一度目の夏を迎えたことになります.この数年来, 伊江島について祈らされ,考えさせられております.その小さな一歩として,伊江島でテントを張ってのキャンプを継続しています.将来は,独立学園,愛農高校,愛真高校の流れを継承しながら,それなり の歩みをなす伊江島主僕高校の幻を抱きながらです.
  高校生時代,主イエスとの出会いを経験し,主にある交わりを継続, さらにその広がりを味わうことを許された者として,中高生に主イエ スの福音を伝えたいとの願いです.地域の牧師たちと一つ心になって 働くことができる事を感謝しています.お祈りくださる小畑先生への 感謝として,幾つか資料を同封させて頂きます.・・・
  小畑先生の尊いお働きが益々祝されますように.
    96年8月20日 宮村武夫
小畑 進先生 」

 8月15ー17日に延期した,今年伊江島中高生キャンプに参加して驚いたのは,豪雪を思わせる一帯に積もる,浜辺から吹き寄せられた砂の量です.ダンプカーの先頭に懸命が清掃がなされる中,いつもに増してさっぱりとした海水の美しさに気がつきました.藤村牧師の話しでは,海辺の自然の力による清掃は,台風がもたらす幾つかの恵みの一つとのこと.

 台風の神学は伊江島の現場で進められるべきと覚悟させられます.そしてその基盤は,1910年誕生の恩師渡邊公平が不自由の指先でお打ちになったワープロの手紙にと共にお送りくださった,『現代に生きるクリスチャンーカルウァンの思考に従ってー』にあることを感謝します. 「敬愛する友,宮村先生.
  この度は,お心尽くしの贈り物を頂き恐縮に存じます.去る15日入 手し,18日礼拝後立ち寄った子供達に分け喜ばれました.それにもま して,長くお会いできないで忘れられてよいこの私に,このようにま でなさった先生のお心には感謝の思いで一杯でございます.
  常夏のような地におられる先生の前には,笑い話のようですが,内 地の夏はこの数年,私には最も過ごし難い季節となってしまって何も できない調子になっているので先生には失礼していました.お許し下 さい. 
 けれども幸い調度ここに一冊の書(むしろパンフレットと言った方 がいいかもしれません)で大会文書委員会の手によるものがあります ので,送らせて頂きます.実は長年の成果として神の「三一論性」に 従っての啓示理解の「方法論」を打ち立てる試みをしたまでのことで 恥ずかしいものです.お側に置いてくだされば幸いです.
   感謝して,主にある友へ
       1996年8月20日 渡邊公平