使徒の働き味読・身読の手引き・その83

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告


『カイザルに上訴』
使徒25章1−12節


[1]序
今朝は、使徒の働き25章1節−12節を中心に。
総督ペリクスからフェストヘと交代。フェストは着任して3日後にカイザリヤからエルサレムに上り、ユダヤ人の指導者と会見します。パウロをカイザリヤからエルサレムへ呼び寄せて頂きたいとユダヤ人指導者の願い。←→フェストは人々の言われるままに動くのではなく、自分なりに判断し処して行く(4、5節)。
総督がペリクスからフェストに変わり、何か新しい期待。しかし2年の年月の流れの中でも、「祭司長たちとユダヤ人のおもだった者たち」(2節)のパウロ殺害計画は少しも変わらず、パウロに対する敵意の激しさを示します。このような中で、フェストによるパウロの裁判。

[2]ユダヤ人指導者たちとパウロ
(1)ユダヤ人指導者たち。
 ユダヤ人指導者。ペリクスのもとで果たし得なかったパウロ殺害計画をフェストの新任にともない、実現しようと試みる。
 フェストの主張、カイザリヤに下って来て告訴せよ。
 ユダヤ人指導者、カイザリヤの裁判で事を決しようとする。
7節、「パウロが出て来ると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは、彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てたが、それを証拠立てることはできなかった。」に注意。パウロを「取り囲んで立ち」。「多くの罪状を申し立て」た。しかし「それを証拠だてることできなかった」のです。

(2)パウロ
 激しい言葉、巧みな論理による申し立ても、それらが事実に立ち、証拠立てることができないなら、少しも恐れる必要がない。
「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、またカイザルに対しても、何の罪も犯してはおりません」(8節)と、一つ一つ事実に立ちパウロは反論して行く。

[3]フェストパウロ
(1)フェスト。
 ユダヤ人指導者の訴えもパウロの弁明も十分聞く。
 判決を下すべきときに、「あなたエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか」と話題を変える.
 10節、「あなたもよくご存知のとおり、私はユダヤ人にどんな悪いこともしませんでした」、フェストがパウロの無罪を知っているとパウロは判断。この判断は正しかった.参照18、19節、「訴えた者たちは立ち上がりましたが、私が予期していたような犯罪についての訴えは何一つ申し立てませんでした。 ただ彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。
 パウロの無罪をところが、ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェストは、パウロに向かって、『あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか』と尋ねた。フェストが言明せず、カイザリヤからエルサレムへと裁判の場所を移す提案をした理由、9節.

(2)パウロ
 10節.パウはロローマ市民として与えられている当然の権利を生かし、カイザルに上訴する道を選ぶ。

[4]結び
 カイザルに上訴するパウロの姿を通して。
 パウロの自覚、主イエスによる神の救いを宣べ伝える使命を委ねられている者としてカイザルに上訴する道を選ぶ。カイザルの法廷においても、福音宣教の使命を果たす。
 それぞれの生かされた分野で、その場で主なる神のご支配を信じ、証をして行く道を歩む、私たちも。