使徒の働き味読・身読の手引き・その70

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告


「恵みのみことばと私」
使徒20章32−35節

[1]序 
今朝は、パウロがエペソ教会の長老たちに語りかけた宣教のことば、その最後の部分を味わいます。普通、最後の部分に、最も大切なことが語られたり書かれたりします。ですから十分注意を払う必要があります。
 32節、「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」において、エペソ教会を真に成長させ、建て上げる方がどなたかパウロは明示し、エペソ教会の長老たちへの勧告から主なる神への執り成しへと焦点を移行しています。
 33−35節では,自分自身の生き方を模範として再び示し、エペソ教会の長老たちがいかに生きるべきか励ましています。パウロの主張は、主なる神の深い恵みや全き導きに対する信頼と個人の責任についての自覚との堅い結び付きから生まれているのです。

[2]神とその恵みのことば
(1)「ゆだねます」。   
 パウロからエペソ教会の長老へ、「自分自身と群れの全体とに気を配りなさい」(28節)、「目をさましていなさい」(31節)。   
エペソ教会の長老たちと別れ、教会を訪問する機会を許されなくとも、パウロにはなお使命があります。「いま私は、あなたがたを神とその恵みのことばにゆだねます」と。長老たちを用い、教会を建て成長させ、信仰の戦いを全うさせてくださるお方に、パウロは目を 据え、祈り続けるのです。パウロ自身の経験、参照使徒14章26節、「ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。」
「恵みのみことば」、参照24節、けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」。詩篇119篇105節、「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」
教会を育成し地上での具体的な戦いに整え、備えをさせてくださる事実。さらに天的遺産を受け継ぐ者(Ⅰペテロ1章4節、「また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。」)として主なる神を永遠に崇め、讃美し得る恵みを約束。神を神として永遠に礼拝し得る特権。これこそ「御国を受け継ぐ」ことです。
神のことばは、地上における戦闘の教会を導くばかりでなく、永遠に神を礼拝する勝利の教会への希望を指し示します。
 28−31節に見るパウロの長老たちに対する勧告は、パウロの祈りと恵みのみことばに対する信頼を通し、確かなものとされているのです。

[3]私は
(1)むさぼらない。
 今、パウロは異邦人教会の献金を集め、異邦人教会の代表と共に、エルサレムへ。Ⅱコリント8章20節、「私たちは、この献金の取り扱いについて、だれからも非難されることがないように心がけています」。 

(2)働く。34節、「あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました」。
信仰と労働。働くことと稼ぐことの区別に十分注意。

(3)主イエスご自身。すべての根拠、35節後半、「主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです」。

[4]結び 
恵みのみことばと首里福音教会・私。この時点で以下について確認。
 死に行く人々に牧師がみことばと祈りをもって仕えていくことが出来るように。首里福音教会の会員ばかりでなく、広く人々に。
 教会学校、幼稚科から成人クラスまで、みことばを学ぶに早過ぎることも遅すぎることもない。学ぶ必要がないほど知識を持つ人もいない。定期集会でのみことばの学びの機会を大切に。
 秋の教会総会に向け、榊原康夫著、『私たちのささげる礼拝』の学びの備え。