使徒の働き味読・身読の手引き・その63

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告


「手で作った物など神ではない」
使徒19章23ー41節

[1]序
 今朝は、「ただならぬ騒動」(23節)について伝えている19章23ー41節を、まず騒動の経過を見、その後中心的な課題を取り上げます。

[2]騒動、その経過
(1)発端。
騒動は、デメテリオという人物によりその口火が切られました。デメテリオは、手広く銀細工工業を経営、エペソにあるアルテミス神殿の模型を大量に製造し、神殿に集まる多くの人々に販売して、銀細工職人たちに「かなりの収入を得させていた」(24節)のです。
 ところが、この事業が重大な危機を迎える恐れが生じたのです。そこでデメテリオは、自分に直接関係のある職人たちばかりでなく、同業者たちをも集め、困難の原因を明らかにし、問題の解決に当たろうとします。
24節以下は、銀細工同業組合の緊急の集会でデメテリオがなした訴えを記録。デメテリオは、「私たちが繁栄しているのは、この仕事のおかげです」と、自分たちの仕事の莫大な利益を確認し、一同を利害関係の絆で結び、直面している危機とその原因を指摘します(26、27節)。 

パウロは、あのアテネでと同様(17章29節)、エペソにおいても、「手で作った物など神ではない」と、偶像礼拝に対し率直な批判をなし、天地の創造者、唯一の、生ける、真の神を宣べ伝えたのです。多くの人々が福音に応答して、偶像礼拝から解き放たれ、「生きるまことの神に仕えるように」(Ⅰテサロニケ1章9節)なりました。

 デメテリオは、この動きが自分たちの有利な仕事に及ぼす結果を見て、「私たちのこの仕事も信用を失う危険がる」と訴え、同業者の心をとらえます。また「大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり」と人々の宗教心に訴え、「全アジアや、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです」とパウロに対する怒りを燃え立たせます。

(2)広がり。
デメテリオの話しを聞いて、職人たちは同業者たちは大いに怒ります。28節、「そう聞いて、彼らは大いに怒り、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ」と叫び始めた。」から29節、「そして、町中が大騒ぎになり、人々はパウロの同行者であるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって劇場へなだれ込んだ。」と騒動の広がりを良く示しています。

(3)パウロ
パウロは事態を察知し,身の危険を顧みず,「集団の中にはいって行こうと」(30節)したのです.しかし事件の直接の当事者であるパウロが興奮状態の集団の中に入るのは,いかにも危険です.パウロの同労者たちは彼を無理に引き留めました.エペソで指導的な立場にある「アジア州の高官」からも同様な忠告を受けます.

(4)ユダヤ人たちとアレキサンデル、33、34節。

(5)転機。
興奮した群衆が二時間も叫び続けた後、一つの転機を迎えます。町の書記役が群衆を押し静め、彼の説得(35−40節)の結果、さしもの群衆も解散したのです。町の書記役は,アルテミ礼拝、つまり偶像礼拝を全面的に認めています。
またパウロが明言し、デメテリオが反発している偶像に対する鋭い批判に直接触れません。その意味では、パウロの福音宣教に耳を傾けていないのです。福音が真理であるかどうかでなく、とにかく騒動が静まれば、それで良いのです。

[3]騒動、その中心的課題
(1)真理を真理として受け止めない。
パウロが伝える福音が真理であるかどうかを探らず、他の動機によりデメテリオも町の書記役も左右されています。
デメテリオの場合は損得、経済的利害が判断の基準です。
町の書記役の場合は、政治的関心がすべてに先立ちます。真理が何であるかでなく、騒動が起こらねばよい。騒動が静まればよいのです。すべてを丸く治めるのに都合のよいものを礼拝すれば良いとの態度です。宗教は政治の道具になってしまうのです。

(2)手で作った物など神ではない。
自分に都合のよい、役立つものを礼拝する偶像礼拝の道。それに対して「手で作った物など神ではない」とパウロが宣べ伝えている聖書の神は、神は神であるから、礼拝されるのです。真理は真理である故に尊いのです.エペソでも、創造者なる神を礼拝するか偶像礼拝かの戦いでした。  .

[4]結び
 「初めに、神は天と地を創造した」と宣言されている創造者なる神が、偶像礼拝との戦いを通して、エペソにおいてもいずれの場所においても伝えられ、信じられていく事実を教えられます。参照イザヤ44章9−24節。