使徒の働き味読・身読の手引き・その46

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告

「神に立ち返る異邦人」
使徒15章12ー21節

[1]序 
 先週は地区の講壇交換で、当教会では八重山キリスト福音教会の浦田先生が宣教に当たってくださいました。姉妹教会それぞれで、幸いな礼拝のときが持たれました。
今朝は使徒の働き15章に戻ります。
1節から11節では異邦人への宣教をめぐり、エルサレム教会で教会会議が開かれるようになった経過について見ました。ペテロはコルネリオ(10章)の実例に基づき力強い弁証をなし、人々に強い影響を与えました(7ー11節)。
続いてバルナバパウロが発言しました(12節)、コルネリオの場合と同様、彼らが従事した宣教旅行(13,14章)においても、神ご自身が主イエスの恵みによって異邦人を救われた事実を語り告げます。
ペテロとパウロバルナバは、異邦人の救いについて根本的に一致しています。13節から21節に見るヤコブの主張も同じです。
 12節から21節では、「異邦人」ということばが繰り返し用いられ(12節、14節、17節、19節)、異邦人の救いの恵みを中心に展開されています。

[2]判断の根拠 ヤコブは、19節以下に見る異邦人への宣教ついて、大切なの判断を二つの事柄を根拠(14節から18節)にくだしています。
(1)事実に基づいて。
 ヤコブは、エルサレム教会会議の中心人物として、「兄弟たち。私の言うことを聞いてください」(13節)と語りだし、ペテロがコルネリオの実例について主張した内容(7ー11節)を要約しています(14節)。コルネリオの実例に基づき、主なる神が異邦人を顧、その中から御名をもって呼ばれる民をお召しになったと確認しています。
ヤコブの判断の土台は、事実です。バルナバパウロの宣教旅行での経験については、パウロたちが直接報告した直後で(12節)、改めて言及しなかったと推察されます。しかしコルネリオの実例同様、パウロたちが宣教旅行で経験した事実を、ヤコブが判断の根拠にしていることは確かです。

(2)聖書の証言に基づいて。
 次に「預言者たちのことばもこれと一致しており」(15節)と、聖書の証言を判断の根拠にしているとヤコブは明らかにします。
アモス9章11節を引用し、ダビデの王座が廃墟に帰するばかりでなく、再び確立される、それはキリストの王国においてであるとアモスの預言と成就を理解しています。
キリストの王国が建てられるときには、ユダヤ人だけでなく異邦人によっても、神の御名が唱えられ、彼らは主の御名で呼ばれる聖なる者として神の民に加えられるとヤコブは受け止めています。福音宣教に応答することにより、ユダヤ人とギリシャ人の差別なく、主イエスに従う。福音宣教を通し、アモスの預言は成就している事実をヤコブは洞察。

[3]判断の内容
(1)原則。
 ヤコブは、「私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませていけません」(19節)と、神に立ち返った異邦人もユダヤ人も等しく神の民であり、神ご自身が受け入れていることを明らかにしています。2節に見るパウロや、10節に見るペテロの立場と一致するものです. 

(2)より具体的に。
 20節では、神に立ち返る異邦人に対して、偶像礼拝と不品行を避けよと警告しています。生活を導く具体的な指針を与えているのです。

[4]結び
 ヤコブは、異邦人が神に立ち返るのは一方的な神の恵みによるのであり、割礼は要求されないと原則を明示。同時に、神の恵みによって救われた異邦人キリスト者たちがどのように注意深く生き、恵みを無駄にしないように指針を与えています。