使徒の働き味読・身読の手引き・その25

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告。

バルナバ(慰めの子)」
                 使徒の働き9章26節ー30節

[1]序
 先週まで、サウロのダマスコ途上の経験、またダマスコでの宣教活動について見てきました。印象深いダマスコ脱出の場面(25節)に引き続き、26節にはエルサレムに到着した様をルカは描いています。
このエルサレム訪問は、ダマスコでの困難を避けエルサレムに逃げ込むという消極的なものではなく、エルサレムでもイエスはキリストと力強く宣教することを目指し、エルサレム教会との交わりを求めていたのは確かです。
 しかしエルサレムを訪問したとき、サウロは大きな困難に直面しました。ステバノを殺害し、エルサレム教会を迫害しサウロをダマスコに派遣した人々からすれば、サウロは裏切り者に見え、憎しみを買ったに違いありません。この事態をサウロも覚悟していたことでしょう。
サウロにとりさらに困難な現実は、エルサレム教会との関係です。「主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて」(9章1節)いたサウロが、今は巧妙な方法でエルサレム教会を内側から破壊しようとしていると恐れられても無理もないことです。ダマスコに人に手を引かれながら入っていったように、エルサレムパウロは謙遜の限りを学び進むのです.

[2]バルナバ このサウロをバルナバは引き受け、話を十分に聞き、的確な判断を下すのです。
さらにエルサレム教会とサウロの間を取り持ちます。その際、バルナバは最も効果的な方法を選びます。自らサウロを使徒たちの所へ連れて行き、サウロが「ダマスコへ行く途中で主を見た様子」や「ダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子」を説明したのです。    
27節と28節の行間に十分注意したいのです。使徒たちは、バルナバの説明を聞き納得したのです。そしてエルサレム教会全体にサウロを紹介し、教会はサウロを受け入れることができました。その結果、28節以下に見るようにサウロがエルサレムで宣教を進める道が開かれたのです。
 このようにバルナバ(27節)は、ダマスコにおけるアナニヤのように、サウロのため背後で大切な役割を果たしています。バルナバもアナニヤ同様、主イエスと祈りの中で深い交わりを保ち生活しており、その主との交わりに立ち、サウロと使徒たち、さらにサウロとエルサレム教会の交わりを開き得たと考えられます。

[3]サウロは
 バルナバの地味な役割を描いた後、サウロにスポットが当たり、「サウロは、エルサレムで弟子たちとともにいて自由に出いり(28節)とあります。また、「ギリシャ語を使うユダヤ人たちと語ったり論じたりしていた」(29節)とサウロが特に専念した宣教活動を指摘しています。これは、あのステパノの宣教に通じるものです(6章8節以下参照)。
さらに「彼らはサウロを殺そうとねらっていた」とある通り、サウロもステパノと同様殉教の危険に直面します。この激しい動きの中で、サウロは心の奥深く、主イエスから委ねられる使命を悟って行くのです(22章17ー21節)。サウロは、異邦人への宣教者としてはっきり自覚し、主イエスにより広い世界へ派遣されるのです。
22章21節、「すると、主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす』と言われました。」を念頭に置き、「兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリヤに連れて下り、タルソへ送りだした」(9章30節)を読みたいのです。
主イエスご自身がサウロを異邦人宣教へ派遣なさるのです。しかし殺害の危険にさらされているサウロを、エルサレム教会の兄弟たちが自分達の身の危険をも顧みず、カイザリヤへ連れて行き、そこから海路タルソへ送り出す方法を用いておられます。
サウロを見送る人々の中にバルナバもいたに違いありません。ただ一人の場合でも(27節)、群れの一人としても、バルナバは忠実に役割を果たします。
タルソを去ったサウロが再び使徒の働きの記述に登場するのは、11章25、26節「バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、 彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」です。この期間は紀元35年から42年までの7年間と考えられます。この間、バルナバもサウロをそれぞれに忠実な歩みを続けます。

[4]結び 
「慰めの子」と呼ばれたバルナバの役割について深く教えられます。バルナバのような人物が今日も求められているのではないでしょうか。