使徒の働き味読・身読の手引き・その21

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告。

バプテスマ,その後」
                 使徒の働き8章36節−40節

[1]序
 今朝もピリポとエチオビア人の宦官との間に交わされた対話に注意し、今回は宦官のバプテスマとその後について見て行きます。
 
 ピリポは馬車に乗り宦官といっしょに座り(31節)、共に道を進みながら福音を宣べ伝えたのです。36節には、「道を進んで行くうちに」とあり、かなりの時間が経過していたと推察できます。福音を宣べ伝える者と聞く者が同じ状態にあり、同じ行動をしています。実に理想的な福音宣教のあり方。
 さらに36節の後半では、宦官がバプテスマを求めることばを見ます。ピリポが福音を語りながらなした招きに対する応答です。宦官のこの決断を目標にピリポは福音を宣べ伝えていたに違いありません。

[2]バプテスマ 宦官は福音を聞きながら、招きに応答しパプテスマを受ける決断をします。
「いつか、どこかで」ではなく、「今、ここで」と応答です。
ではバプテスマはどのような意味を持つのでしょうか。
(1)バプテスマはキリストと一つである事実を確認するものです。
 主イエスは私たちの罪のため死んでくださいました。主イエスの十字架の死において私たちも罪に対して死んだのです。罪と死は、もはや私たちに決定的な力を及ぼし得ないのです。
そればかりでなく、キリストの復活にも堅く結ばれ新しく生かされることをバプテスマにより確認させられます(ガラテヤ2章20節、「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」)。

(2)バプテスマは、全面的にキリストに従う決心を公に告白する機会でもあります。主イエスのしもべ、花嫁として生かされたいと決意を告白する恵みの機会です。

(3)バプテスマは、私たちの弱さを支えるため与えられている恵みの手段です。恵みの約束を心に受け止め一層堅く信じる助け・支えをなす恵みです。

[3]バプテスマ、その後
(1)宦官にとり、バプテスマは終わりではなく、出発です。「バプテスマ、その後」が大切です。三つの点を注意したいのです。
①39節、「水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。」、宦官はピリポからバプテスマを受けましたが、ピリポの弟子ではなく、主イエスの弟子となったのです。

②宦官はエチオピアを目指し、自分の道を進んだのです。主なる神から与えられた自分の道をはっきり自覚し、その道を主イエスに支えられながら最後まで歩み続けるのです(マタイ16章24節、「それから、イエスは弟子たちに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』」).
 
③「喜びながら」。宦官は、今や神に喜ばれている存在である事実を知らされ、神を喜びつつ歩む者とされたのです。

(2)宦官の前から姿を消したピリポが、その後どのような歩みをなしたか。
40節、「それからピリポはアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。」に注意したいのです。アザトとアザト同様昔ペリシテの支配下にあった地中海沿岸の地域(9章32節以下のペテロの巡回地)、さらにカイザリヤでの宣教。
カイザリヤは大きな港を持ち、パレスチナの表玄関として交通の要所です。このカイザリヤは、ペテロやパウロの宣教において大切な場所となりました。21章8節に、「翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家にはいって、そこに滞在した」と、興味深い記録があります。
8章40節の記事から約20年の年月が過ぎ去った頃と考えられます。宦官のバプテスマ後、ピリポがどのような歩みをなしたかを伝えてくれます。

[4]結び

 バプテスマ後の宦官の歩み、そしてピリポの歩みに教えられます。両者それぞれにとり、「バプテスマ、その後」なのです。バプテスマの後、恵みの中で恵への応答としての歩みの継続です。