ルカの福音書身読の手引き・その61

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報k告

「自分の十字架を負って」
ルカの福音書14:25−35節
[1]序

 ルカの福音書14章1節から24節の箇所では、主イエスにある神の招きについて教えられました。
今朝味わう25節以下では,その招きにどのように従うべきかに焦点を合しています。

[2]「自分の十字架を負って」(25−27節)
(1)「憎まない者は」の意味
①家族に対する態度についての聖書の教え、出エジプト記20章の十 戒、エペソ5章21節以下に見る家族の間で持つべき態度についての教え。
すべての人間関係は、「主にあって」の基盤のもとに。

②第一のものを第一に。そのことを通して第二以下についても本来の秩序が与えられる。

(2)「自分の十字架を負って」(27節)
①「自分の」が急所。
それぞれ個人的に与えられている使命。誰一人他の人を必要とせず、すべてのことを自分ひとりでなすことなどできないし、誰一人何の役割もない者もいない。
 
②「十字架を負って」、主イエスの道が主イエスの弟子の道を示す。

③「弟子」

[3]二つのたとえ(1)「塔を築こうとするとき」(28−30節)
 「完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算」(28節)。
建て始めたら完成する必要。

(2)「どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようとするときは」(31−33節).
①「まずすわって、考え」。

②二つのたとえのポイトしての33節、主イエスの弟子の道。
「そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。」。マタイ6:24。

[4]結び
 塩が塩けをなくしたらとの警告。マタイ5章15節,マルコ9章50節参照.
主イエスの弟子(主イエスに聞き従う者、イザヤ50章4節参照)としての道を歩む者への励ましと警告。