ルカの福音書身読の手引き・その43

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告

『御顔をエルサレムに向けて』
ルカの福音書9章51−62節
[1]序
 10月の主日礼拝でも,以下の予定でルカの福音書を読み進めて行きます。
 10月4日  ルカの福音書9:51−62 
          『御顔をエルサレムに向けて』
 10月11日 ルカの福音書10:1〜16(Ⅰ)
          『収穫の主に,収穫のために祈れ』
 10月18日 ルカの福音書10:13−16(Ⅱ)
          『あなたがたに耳を傾ける者は』
 10月25日 ルカの福音書10:17−21
       『あなたがたの名が天に書きしるされていることを』
 9章51節から19章27節までは、ガリラヤからエルサルムへ向かう途上での出来事を記す、ルカの福音書の特徴がよく現れている箇所です。十字架の死を通し栄光への道、これがエルサルムを目指す主イエスの道であり、主イエスに「ついて行く」弟子の道なのです。
 今朝箇所を、51−56節と57−62節の二つに分け味わいます.

[2]「イエスは御顔をエルサレムに向けて」(51−56節)
(1)51、53節前半
御顔をエルサルムにまっすぐに向けて進む主イエスご自身の姿を、51,53節で繰り返し強調。困難と危険を覚悟して直面し、目標をしっかり定めて進む道。

(2)53節後半,54節
サマリヤ人の態度に対するヤコブヨハネの申し出。
エルサルムでの十字架の予表のように、サマリヤ人の拒絶。
サマリヤ人とユダヤ人の反目については、Ⅱ列王17章24節以下、ヨハネ4章45節参照。
またヤコブヨハネの申し出での背景として、エリヤの例(Ⅱ例王1章10、12、14節参照)参照。

(3)主イエスヤコブヨハネに対する戒め(54節)
 ご自身を歓迎しない人々に対して、「別の村に行」く主イエスの態度(9章5節参照)。

[3]「手を鋤につけてから」(57−62節)
 この箇所の中心は、十字架を熟知し見定めて進む主イエスに従い続ける一事。 .
(1)57、58節
主イエスに従おうとするとき、何を覚悟すべきか。
主イエスご自身がどのような道を歩まれたかを十分知る必要。

(2)59、60節
一つの理解は、霊的に死んだ状態にある人々に、現実的に死んだ人の葬りを委ねる意味と取る見方。
いづれにしても年老いた父親への責任を言い訳にして、主イエスへの従順を引き延ばすことは、神への献げを言い訳に、年老いた両親への義務を怠ろうとする態度(マルコ9章7−13節参照)と同様、主イエスはその問題点を指摘。
60節の後半の積極的勧めを注意。
 
(3)61,62節
継続!

[4]結び
(1)目標に向かい進む。主イエスの目標、エルサレム・十字架。
では私たちの目標は何か。
天国を目指し進む歩みとは、ピリピ3章13,14節,ヘブル11章13−16節参照。

(2)第一のことを第一に、最善のものを主なる神に。
 「いともよきものを きみにささげよ
  きみはいのちをも なれにたまえり
  十字架の死をも こばみたまわず
  あがないのわざを なさせたまいぬ
  いともよきものを きみにささげよ
  あつきながこころ わかきちからを」(聖歌338 3番)
 そして継続こそ私たちの取るべき道。

(3)言い訳からの解き放ち
表面にきにはもっともらしく見えても、その本音は、人への義務を主なる神への義務を果たさない言い訳にしない。また主なる神への義務を人への義務を果たさない言い訳にしない(マルコ9章7〜13節参照)。