祈り・輝く種火『礼拝の生活』再考その112

1972年12月24日
『礼拝の生活』112号

(巻頭言)「海外宣教―青梅キリスト教会の課題―」

 1972年12月31日の主日礼拝に、尾崎宣教師がメッセージを取り次いでくださいます。この年最後の主日礼拝が、さらに意味深いときとなると確信します。
 
 青梅キリスト教会では、エクアドルで放送伝道に従事する尾崎宣教師に加えて、インドネシアで宣教している奥山師や台湾で働いておられる鈴木姉のために毎月献金をおくっています(今年度の予算三万七千円と指定献金)。その他に指定献金として、ブラジルの中田師とネパールの鳥羽師の働きのためにも献金が献げられています。

 しかし私たちの現状は、教会全体として海外宣教について積極的に取り組んでいるとは言い切れない面があります。勿論私たちは日本新約教団全体としての開拓伝道の援助体制の責任を果たしています。
 また奥多摩伝道の責任もあります。これらの責任(経済的な責任を含めて)は、私たちの群れにとって、決して軽いものではありません。例えば日本新約教団献金は、今年度一九万八千円近くあります。こうした身近な必要を祈りつつ支えていく特権を責任とともに、私達には、海外宣教に対しても積極的に参与する恵みの機会が与えられています。

 それにもかかわらず、海外宣教への取り組みが、もうひとつピンとこないのは、深く考える必要がありそうです。12月31日に尾崎宣教師をお迎えできることは、本当に幸いです。この機会に教会の責任と特権を深く味わいたいものです。
特に各分会が海外宣教のために大切な鍵をにぎっています。この点をどう実現していくか、私たちの大きな課題です。

尾崎先生と私は、日本クリスチャン・カッレジ学生会の会長と副会長として働きました。
その日本クリスチャン・カッレジは、私にとって世界宣教についても原点・源泉なのです。

 1999年、センド国際宣教団のもと日本センド派遣会が発足して以来、私がセンド国際宣教団の宣教師の立場を兼務し、世界宣教にかかわるようになったのは、若き日に受け た影響の実です。

 40年前、様々なかけを持つ青梅キリスト教会が曲がりなりにも、世界宣教のためかかわろうとしていました。
40年後、多くの教会は、それなりに豊かになったのに、海外宣教に対する取り組はどうでしょう。
たとえば愛する首里福音教会の場合など、牧師給と牧師館などにのみしがみ付くだんまりさんが恵みの管の漏水となっていないかと寂しくなります。

 ところが昨年5月関東へ戻って以来、世界宣教のために祈るフィリオ会の姉妹方と出会いました。今では、隔月の祈りの集いは、拙宅・うちなーんちゅの部屋で開いています。

 世界の各地でキリスト信仰に導かれたり、信仰生活をした経験のある方が世界に散らされている日本人のため祈り続けているのです。
組織がなくとも予算がなくとも祈ることは出来ます。祈りは、主の時のために輝く種火です、感謝。