『礼拝の生活』再考、その42

1971年4月25日
『礼拝の生活』41号
 
(巻頭言)「旅行から旅へ」
 
4月29日の天皇誕生日、5月3日の憲法記念日、5月5日のこどもの日と続く、いわゆるゴールデン・ウィークが、まさに始まろうとしています。
一説によると、この期間日本の総人口の約二割に当たる二千万人の人々が旅行するだろうと予想されているとか。実に、驚くべき数です。
 旅行は良いものです。たとえ一時的でも日常の制約から解放されて、人本来の姿である旅人に立ち帰られるのですから。
しかし、旅行によって示されている現実は、単純に旅とは考えられない面があります。旅行には、旅とは違い何か根本的に作為的なものを感じないでしょうか。旅行するより、むしろ旅行させられるのが実体であり、ピッタリする面があると否定できないのではないか。
 
靖国神社法案にはっきりと示されている時代の厳しさを考えるとき、二千万人もの人々が旅行している中に、いや、旅行させられているような状態の中で、何が押し進められようとしているか見失わないようにしなければなりません。
こどもの日を、真にこどもの日として祝えるために、未来に対して責任を与えられ、現代に生きる者として、4月29日や5月3日に象徴されている明治以来の日本の過去の歩みを、もう一度考えたいのです。
そのとき、旅行させられる者としてではなく、真に旅人としてこの連休を送ることができるのではないでしょうか。
 キリスト者は、この世にあって、旅行させられる者ではなく、真に旅人として生かされているのです。

★ あれから40年、2010年出版の、中村明著『日本語語感辞典』(2010年、岩波)には、
「旅」と「旅行」の違いが、かなりはっきり指摘されており、嬉しくなります。
 「旅行」については、「楽しむために、一時的に自宅を離れて遠くに出かけ」ることで、
観光旅行、新婚旅行などの用例を挙げています。
確かに、そう言われれば、観光旅とか新婚旅とは、普通言わない。

 一方、旅については、「古風で幾分優雅な感じの和語」で、「鍛えるためには『可愛い子には旅をさせよ』と言われるように」、昔は、旅には苦労の多いものという認識が強かったとも指摘されています。
 これらのことから私なりの判断では、旅行は楽しみと結び付き、旅は苦しみ・労苦と結び付く。旅行ではなく、やはり「旅だな」です。影の一声、「古風」
ピリピ1章29節
「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」