2009年先輩S牧師への手紙

敬愛するSS先生

頌主。
主にあってお励みのことを覚え,御名を崇めます。
中嶋聡兄の、「『心の傷』は言ったもん勝ち」をお送りするのが遅れ,申し訳ありません。同封いたしますのでよろしくお願いします。

11月23日から28日まで、大阪、神戸、和歌山に行っておりました。
特に11月23日には,沖縄から関空への一便で飛び、岸和田市の岸和田福音キリスト教会の主日礼拝で宣教・説教にあたりました。
沖縄信徒聖書学校伝道者コースを卒業なさった、横谷牧師と奥様と今回も幸いな主にあっての交わりを与えられました。
それにつけても、いまさらながら沖縄の地理的位置の重要さと航空便の恵みを痛感しました。
 
柴又の記念館で購入した、寅さんの帽子から雪駄までの衣装を着ての童謡説教、関西でも好評でした。
『宮村先生、どうしちゃったの』との声もありましたが。
日野原重明先生は、「牧師さん。そこまでやるか」と言われたとか。とにかく福音宣教の方法としては、抜群です。
 
 11月25日−27日まで神戸で、日本福音主義神学会全国研究会議が開かれました。研修会議の主題は、『現代日本における伝道の神学』。
 1970年に設立以来続けて参加している者は、神戸ルーテル神学校の鍋谷先生と私だけでした。
会議全体を通じて、神学の営みに対する意気込みや姿勢に、物足りなさを痛感しました。
 たとえば発題者の一人・・・、その発題に全く失望しました。 
 ところが、おっとどっこいなのです。・・・、ゴードンの後輩であるE先生から、以下のメールが届き、深い慰めを受けました。
「宮村武夫先生
尊い主の聖名を崇めます。
いつも、私のような小さな者をも、覚えていてくださる宮村先生に、心から感謝を申し上げます。
「恵みから恵みへ」をお送りくださりありがとうございました。沖縄でのモルトマンのこと、また、その最後の方にありました水草先生のお証しなどを、心に触れるものを感じつつ拝読させて頂きました。
神学を論ずるのではなく、神学を生きる宮村先生のお姿が、私のような若輩者の心の琴線にも響きます。
お交わりを心より感謝申し上げます。
私、今年度をもってSの専任をおりることになりました。・・・
私としては、神学は牧会から遊離すべきではないという確信と、牧会者となる者は、牧会者が育てるべきという理想があります・・・また新たな歩みを始めます。・・・
主にありまして。
EK」
・・・23回目のクリスマスを迎える沖縄でのキリスト信仰二人旅、その年月無駄ではなかったと、主の一方的な恵みを味わっております。
 中嶋聡兄との主にあっての交わりは、やもとの山川兄の場合と同様、沖縄での生活・生涯の歩みにおいて特別な恵みです。
 あるところで、中嶋兄との交わりについて以下のように書きました。心より感謝して。
「・・・組織的により大きな教会の発言がより小さい教会の上に圧し掛かり、その反面小さな教会は卑屈になる、およそ聖書的でない現象が生ずるのです。今星の子キリスト福音教会と首里福音教会の間で繰り広げられているのは、そういうことではないでしょうか。これを見て、見ぬふりは出来ないのです。そうしてはいけないのです。断じて。」
 しかしこうした風潮は現代社会に蔓延しており、それが教会の中まで浸入しているのです。悲しいことですが。
こうした風潮に対して、昨年立秋の頃、敬愛する中嶋聡さんは、『ブルマ―は、なぜ消えたのか』と題する注目すべき書を勇気を持って出版しました。
同書の「おわりに」において、著者中嶋さんは、聖書に堅く立つご自身の立場を、世に向かい鮮明に宣言しています。
「また『性同一障害をめぐっては』は、聖書的立場、つまり聖書を誤りのない規範と認める立場から論述している。これはクリスチャン以外の人には共有されない立場だと思うが、この立場を含めての主張が私の論旨なので、それを共有しない方はその立場から批判的に読んでいただければいいと考えた。」(『ブルマ―はなぜ消えたのか』2004頁)。

 中嶋さんの「聖書的立場」についての確言を私は心からの喜びをもって共鳴するのです。
それは、聖書を恵みのメガネとして、神の創造なさるすべてを見、考え解釈する。その意味での「聖書的立場」。宗教改革者の一人が特別に提唱している豊かな聖書的人間観また世界観なのです。
・・・独善的な狭い釈義のみを絶対化するものとは、似て非なるものです。
自分たちだけが聖書を文字どおり信じていると蛸壺的な、・・・、聖書を私物化してしまう私を含めての自らの傾向との絶えざる戦いです。
私たち二人が理解する「聖書的立場」は、私たちの交わりを通して、次第にそれぞれの生活・生涯に確立され続けているものです。
そうです。主にあっての交わり、しかも二重の交わりを通して与えられたのです。
一方では、主日礼拝を中心に説教者と会衆の間にある一礼拝者として。
他方、精神科医院・なかまクリニックの治療室における、主治医と―患者として。
 こうして中嶋さんは、牧師の牧会を受ける、one of them 、あくまで群れの一員として。
 同時に、宮村は、中嶋さんの牧会の現場であるなかまクリニックという牧の一頭の羊として、ともに歩みを進める中で、からだ全体で聖書を味読してきたのです。
上記の書について、琉球新報誌上、次のような書評を書きました。
スペ―スの制約がある中ですが。
『諦めから立ち上がる、一臨床医の提言』
著者は、1955年生まれ、那覇市にて「なかまクリニック開業する臨床精神科医
女子のブルマ―姿を見て、ドキドキした中学生・高校生の頃の体験を持つ。
ところが、こともあろうに、1995年頃を境に、あのブルマ―が急激に少なくなり、ついに消え果てしまう。
時代が変わったのだ、仕方がないと著者は,諦めの境地に陥っていた。
しかし臨床医に徹する著者は、「なぜ」との内なる問いに促され、ブルマ―の消滅とそれに関連する社会現象をじっくり診察し、独自の治療方法を提示する。
診察内容は、「王様は裸だ」と、叫んだアンデルセンの童話『裸の王様』の少年を思い出させる。
自分の目で、人権と偏見、性同一障害、セクハラ、タバコと禁煙運動、インフォームド・コンセントなど生の現実・社会現象を見定め、レッテルや時代の風潮に流されない。なによりもイデオロギ―に逃げ込み現実から目をそらして、あることをないかのように。ないものをあるかのようにする知的誘惑と戦いつつ著者は診察をなし続けている。
 著者の治療だが、「辺縁」という見方・考え方を用いて提示している。
「中心的で主なる場ではないが無視できないような場が在」(93頁)する事実に著者は注意を払う。そして中心的・本質的な意味や性質ではない、そのような場や味わいを一般に「辺縁」と呼ぶ。この視点から、セクハラ、タバコと禁煙運動、インフォームド・コンセントなど具体的な社会現象について、精神的健康や健康的な社会生活を送るために役立つ微妙な側面を切り捨てない道を指し示している。そのためには、誤解を恐れずに強者の論理とも思える表現(たとえば[被害者帝国主義])さえ用いて。
 この「辺縁」に注目し続け、「人間の生の、生き生きとしたありかたを尊重する社会」(201頁)を維持し、積極的・意志的に作って行こうと著者は本音で呼び掛けている。治療を受ける者も医療従事者も同じ人間「なかま」だとの強い確信に基盤を置くクリニックでしなやかな実践を続けながら。」(宗教法人センド国際宣教団日本派遣会総主事宮村武夫)。

 本書は、慧眼の人々の関心を引き付けました。
早くも2008月6月、新潮新書の一冊として、「『心の傷』は言ったもん勝ち」が、出版されたのです。
「のさばるエセ『被害者』に気をつけろ!」と、本書のカバ―帯の一番目に付くところに記されています。
そうです。
「のさばるエセ『牧師』に気をつけろ」なのです。」

 アドベントの季節、SS先生の日々の上に、祝福が豊かにありますように祈ります。

忍耐と希望をもって(ロ−マ8章25節)。
宮村武夫・君代