『継続でなく、断続であっても』

恵の聖句 「あなたは再びもう一つの巻き物を取り、ユダのエホヤキムが焼いた先の巻き物にあった先のことばを残らず、それに書きしるせ。」(エレミヤ36章28節) 

「エレミヤは、もう一つの巻き物を取り、それをネリヤの子、書記バルクに与えた。彼はエレミヤの口述により、ユダの王エホヤキムが火で焼いたあの書物のことばを残らず書きしるした。さらにこれと同じような多くのことばをそれに書き加えた。」(エレミヤ36章32節)

今回のブログの開設に当たって、継続的に書き込みが出来るか自問しました。
まず毎日継続的に書き続けることは、それほど簡単でないと判断しました。それで当初考えた「喜びカタツムリの日記」ではなく、「喜びカタツムリの歩み」をブログのタイトルに選びました。
それでは継続的書き込みに自信や確信が完璧にはないのに、なぜブログをあえて始めることにしたのでしょうか。
それは、今までも何回か深い励ましを受けてきた、エレミヤ36章32節に見る「再
び」の呼びかけにより与えられた、「継続ではなく、断続であっても」の思いからです。
多くのことが順調に進み、絶え間なく仕事が継続されて行く場合。
これに対して、挫折の現実のためことが一時中断、しかしそれでもなお再び進む場合。後者の場合は、単なる継続とは違い、「再び」に励まされての断続です。
手元にある国語辞典では「断続」について、「切れたり続いたりすること。しばらく続いては、ときどきやむこと」と説明しています。
これに対し「ときどきやむことがあるが、なお続くこと」と続くに力点を。