順天堂大学医学部樋野興夫先生の第17回「楕円形の心」報告

順天堂大学医学部樋野興夫先生の第17回「楕円形の心」報告

「宮村先生
感謝申し上げます。

樋野

第17回「楕円形の心」
人柄の優しさと品格 〜 日頃の職場の疲れを癒やす 〜

シンポジウム「少女ハイジに学ぶ自己形成」に、前回出演した皆様と一緒に、今回は、『平成29年度 日本民間放送連盟賞 特別表彰部門「放送と公共性」優秀賞受賞「患者からの“いのち”のメッセージの発信」“患者が主役”の企画理念と実績が評価される』と、謳われている「受賞パーテイー&特別番組」に、ラジオNIKKEIのスタジオに赴いた。
ケーキを食べながらの楽しい一時であった。

大人のラヂオ | ラジオNIKKEIwww.radionikkei.jp/otona/に、出演した。第4週目の番組後半は、「樋野興夫のがん哲学学校」のコーナーが、放送されている。」
ラジオNIKKEIの番組「日曜患者学校」(http://www.radionikkei.jp/inochi/)のコンセプトを引き継ぎ、『がん患者、及び、がん患者を支える人々、医療従事者が集い、「がん哲学学校」と題し、お互いが語りあい、学びあう場として放送しております。』と紹介されている。
前回、『樋野先生 本日のヤフーニュースです。がん哲学外来が出ています。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171204-00005100-bunshun-life』(文春オンライン;3回連載)』と連絡を頂いたが、今回、2回目が掲載される。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171211-00005101-bunshun-life&p=2

『ながれやま・がん哲学外来カフェ 1周年記念講演会 〜 あなたは そこにいるだけで 価値のある存在 〜』(流山市生涯学習センターに於いて)で、講演『あなたは そこにいるだけで価値のある存在』の機会が与えられた。
多数の参加者で、会場は大変盛り上がった。大いに感動した。{「先生のお人柄の優しさ幸せな時間でした。」、「樋野先生のお話にほっとして、日頃の職場の疲れも癒されました」、「樋野先生の品格が滲み出て、素晴らしいひと時を経験させて頂きました。」、「主治医との対話についても、樋野先生から教えていただいている対話学を活かしていけたらいいなあと思っています。『がんばりすぎない。悲しみすぎない』を読みつつ、前を向いて歩いて行きたいと思います。」、「『あなたはそこにいるだけで 価値ある存在』(KADOKAWA)、『がんばりすぎない 悲しみすぎない』(講談社) 本も完売で、サインに長蛇の列でびっくりしました。」}などの優しいコメントを頂いた。本当に、涙なくして語れない!

2017年アドベン、ニューイングランドの母校からメッセージ その19 日目

2017年アドベン、ニューイングランドの母校からメッセージ その19
日目

2017 Gordon-Conwell Advent Devotional
Day 19 | Come, Thou Long-Expected Jesus
Psalm 89

Following the most despairing of all the psalms, Psalm 89 turns to exalted praise for the steadfast love and faithfulness of God. He is the Holy One of Israel whose unfailing love and faithfulness are the security and guarantee of his covenantal promises to his servant David and to his chosen people Israel.

The psalm then enumerates God’s irrevocable promises to love, favor, strengthen, protect and establish David’s throne forever in righteousness, justice, kindness and truth. In the fulfillment of these promises the ancients anticipated the coming of the Messiah—God’s anointed One, the firstborn, the eternal King of Kings.

However, despite the depth and strength of his conviction about God’s trustworthiness, the psalmist still anguishes over the absence and silence of God amid the devastating crisis of the exile. This sense of rejection, abandonment, and judgment by God leads to an angry indictment against God for his betrayal of David. The psalmist concludes with three accusatory questions: How long, O Lord? Who can save? Where is your steadfast love and faithfulness?

We know now that all three questions were answered in Jesus Christ:
“…from the exile to the Christ fourteen generations,” (Matt 1:17);
“…call his name Jesus, for he will save his people,” (Matt 1:22);
“…God shows his love for us in that while we were still sinners, Christ died for us” (Rom 5:8).

Though God’s promises were never in doubt, the psalmist could not see that at the time. Even so, in faith he managed one final benediction: Blessed be the Lord forever.

Amid our own crises in this Advent season—for many, an unprecedented season of suffering and grief from injustice, violence, financial hardship, disease, political turmoil, international conflict and even natural disasters—let us, like the psalmist, rest in God’s unfailing love and faithfulness. Though we likewise do not yet see the fulfillment of all his promises, we can wait patiently—and confidently! For his second coming is as certain as his first.

Dr. Edward M. Keazirian
Director of the Greek Language Program at Hamilton; Assistant Professor of New Testament

「Ⅰコリント1:2をメガネに、ちいろば聖書集会を見れば」 宮村武夫

「Ⅰコリント1:2をメガネに、ちいろば聖書集会を見れば」
宮村武夫

 「コリントにある神の教会・エクレシアへ。すなわち、キリスト・イエスにあって聖められ、招かれた聖徒たちへ、また、至るところで彼らの、またわれらの主にいますイエス・キリストを呼ぶすべての人々へ」
(Ⅰコリント1:2前田護朗訳)

(1)「コリントにある神の教会」、「コリントにある神の集会・エクレシア」
 ちいろば聖書集会は、その名称に地理を示す表現を用いていません。しかし「青梅」と地理的表現を含むことを前提としていることは明らかです。つまり、青梅にあるちいろば聖書集会と意識、その意味を含めって、名乗っているわけです。
 大切な課題は、どのような事実で「青梅にある」と自覚しているかです。
 「コリントにある神の教会」、「コリントにある神の集会」と言う場合は、当時の世界的大都市コリントには、1章13節に見る指導者との関係を持つ幾つかの集会があったと推察されます。そうした複数の集会を、外部から見ると全体として一つのコリントの教会と呼ぶことができたのです。その内部の集会は、それぞれ多様性を持ちながら、しかも一つのコリント教会として意識を持ち、外部からもそう見られたのです。その恵みの事実を忘れて、自分のグループのみを絶対視が、1章11節以下で問題とあると指摘です。
 ちいろば聖書集会の場合も同じです。青梅にある幾つかの集会にそれぞれ異なる背景歴史があり特徴があります。それを無視したり、軽視して、自分たちだけが存在すると見たり、主張してはならないのです。

(2)「至る所で呼び求めているすべての人々とともに」、「至るところで彼らの、またわれらの主にいますイエス・キリストの名を呼ぶすべての人々へ」
 そうです。単にコリントだけの話ではないのです。アカヤ州にある教会の一部として、いや至る所・全世界にある教会の一部としてコリントにある教会なのです。
 ちいろば聖書集会の場合も全く同じです。青梅ばかりでなく、西多摩の、東京の、アジアの、そして世界至る所にある教会・集会とつらなる。そうです、「聖なる公同の教会」と連なる、ちいろば聖書集会なのです。
 日を重ね、年を重ねる歩みをしながら、まずは1コリント1:2をメガネとして、ちいろば聖書集会を見て、その小さな集いの中に注がれている、豊かな恵みを見い出し喜びに満たされつつ、2018年の歩みを続けていくのです。苦悩と喜びの両立をしっかりと身に受けながら、一歩一歩と導かれながら。

12月22日(金)ヨハネ10章の味い、その22 午前11時、青梅から鮫島兄と佐藤兄来訪、午後7時動画集録

12月22日(金)ヨハネ10章の味い、その22
午前11時、青梅から鮫島兄と佐藤兄来訪、午後7時動画集録
 
https://youtu.be/-johDinyLUs
    ヨハネ10:32