敬愛する山形鶴岡矢澤俊彦先生にのメッセージ

 

「自我の殻」から出よとの呼びかけ

-喜びの復活祭の訪れ-

矢澤俊彦

 

この4月21日には復活祭(イースター)という大祭が訪れますので、今日はその意味について少し記してみました。尚、市内どこの教会でもこの日は午前10時前後からお祝いの礼拝があります。市民どなたでもお出でください。

 

◆いい子に育てる危険 ある子育ての本に「いい子にしてしまう危険」とあるのに目が留りました。母親はとかく自分の思いや期待が先行し、子供のあるがままを受け入れることができない。その愛情はしばしば条件付きになります。するともう赤ちゃんのころから子供はお母さんや大人の顔色を見て行動するようになる。そこで家庭が窮屈になり、互いに本音が出せなくなるというのです。いい子になってしまった子は狭い世界を歩かせられ、面白みも自発性も創造性も失っていくのです。家庭の雰囲気ものびやかな明るさに乏しくなるでしょう。

 

◆人間不信の源は しかし母親だけを問題にするわけにはいかないでしょう。なぜなら、その母親が無条件的に子供を受容できないのは、その人自身が幼児時代から不十分にしか受け入れられず、大人や周囲世界に深い不信感を植え付けられて育ったからです。本人にその自覚は薄いのに、人を深く信じられない人間を育ててしまっているのです。

さあ皆さん、これが今の世界の問題です。ほとんどの人が心許せる友がなく、人間関係づくりにも消極的でストレスもたまる。心から笑える経験もなく、いくらおいしいものを食べても、家庭も町も明るさを欠いている。他人に対して、深い不信感が抜き難く存在しているからです。世界中にこんなにラブソングが歌われているのに、誰も自分を待っていてくれる人などいない。すると私たちが日々こんなに求めている愛、あの無条件的受容という素晴らしい体験はついに与えられることなく、このありきたりの、面白くない半端者みたいな生活をいつまでも続けていくほかないのでしょうか。努力してやっと手に入れた小さな小さな光を後生大事にして、世間の風に負けまい、と必死に生きていくほかないのでしょうか?

 

◆自己愛から飛び出せとの声 さて、ここまできて皆さんに御紹介したいのが復活祭です。このイースターは大声で人類に呼びかけています。「さあ、卵から出よ」と。この小さくて狭い自己、そこで毎日展開される「自己愛(自愛)」の生活。固いよろいのような殻。そこには営々として築いてきた生活があるでしょう。磨いた知識・技術も財産も地位というようなこの世の宝もすべてあるかもしれない。でもそれは自分で灯そうとした小さい光に過ぎないのです。

 

◆無条件的愛情の持ち主の出現 そのカラを破ることさえ出来たら、と思うことがあったかもしれません。この脱出が出来なければ私たちはこの卵の中で朽ち果てるほかはないのです。復活祭とは、まさにその脱出の時なのです。なぜなら、この巨大な墓のようなこの世界から追放されながらよみがえった救世主キリストが、皆さんの卵を外から叩きながら、「さあ、今ですよ、出てきなさい」、と優しく呼びかけておられるからです。

このキリストこそ人類が見失ってしまった、あのすべての人を全く無条件で受け入れてくださる。途方もなく大きな受容力をもったすごい父親であり、母親であるからです。

 

◆誕生から生き直したい私 私も今、自分の過去を思い出します。とかくいい子になろうと無理をしてきたこと、泣きたい時に泣けず、怒りを爆発させたいのに我慢してしまい、家庭でも本音を隠してきた日々。それで私は今でも人を恐れ、本音で人とつきあうのが苦手なのです。そこで私もこの復活祭には、自分のよろいもカラもかなぐり捨てて、広い世界に飛び出していきたい。そこで自分の誕生から「生き直し」、キリストという大いなる慈母に「育て直して」いただこう、と決意しているのです。

教会でいう「洗礼」とは、このことを指しているわけで、こうして新たな人生を望む人は、この21日にも洗礼を受けることができるのです。

 

◆人生土壇場での誕生 終わりにキリストと共に十字架につけられた極悪人を紹介しましょう。彼はその木にかけられつつ、隣の高い十字架を見上げながら、その人の清らかさに打たれた。すると生まれ出てからそれまでの自分がいかにあらゆる悪行に染まってきたか、を思った。でもこの人ならそれをゆるし清めてくれるような気がした。そして涙ながらにおそるおそる声をかけた。「旦那、もし天国に行ったら、あっしのことを思い出してくだされ」。その答えは驚くべきものだった。「いいよ、お前はきょうのうちにも、私と一緒に天国におるぞ」。

鶴岡市本町3丁目 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)

ニューイングランドの母校から、イースターメッセージ報告

ニューイングランドの母校から、イースターメッセージ報告

 

APRIL 16, 2019 Christ, Our Ransom

Exodus 21:28-32  

Exodus 21:28-32 preserves a set of ancient Israelite laws known as “the laws of the goring ox.” The first time an ox kills someone, its owner is not liable. However, if the ox repeats the offense, the owner is guilty of negligence and his/her life is now forfeit. However, there is one way out. The offended, that is, the one whose family member has been killed by the ox, may impose a ransom (or redemption payment) on the guilty ox owner. If the offender pays the ransom, his/her life will be spared. This ransom, rendered in Hebrew as koper, and as lutron in Exodus 21:30 of the ancient Greek Old Testament known as the Septuagint, was not granted automatically. Nor was it understood to equal the value of the lost life. Rather, it was a mitigated (lesser) payment that the offended could offer to the guilty party to spare the offender’s life. What I find so astounding about this is that not only has God been incredibly merciful in that he is willing to accept a ransom—which in and of itself shows tremendous grace and mercy—but that God sent his very own son, Jesus Christ, to be a ransom for many! As we prepare to celebrate the death and resurrection of our LORD this Easter, may we be filled with a profound sense of gratitude to Jesus, who ransomed us—offenders in need of redemption—with his own precious body and blood! And can it be that I should gain An int’rest in the Savior’s blood? Died He for me, who caused His pain? For me, who Him to death pursued? Amazing love! how can it be That Thou, my God, shouldst die for me? Amazing love! how can it be That Thou, my God, shouldst die for me?* *(Verse 1 from the hymn, “And Can It Be, That I Should Gain?” by Charles Wesley)

 

 

 

Catherine McDowell, Ph.D. Associate Professor of Old Testament

2015年4月17日(金)③総論の祈り、各論的な祈り 再提示

2015年4月17日(金)③総論の祈り、各論的な祈り 再提示
 

 今、信頼する沖縄の先輩牧師と電話で話し祈ったところです。
翁長知事を、うそをつかない政治家として生きる決断をした人とk先生は受け止めておられ、知事と同様那覇市市長だった父上の過っての評判を話してくださいました。
 あることをないかのようにしない。
 ないことをあるかのようにしない。...
うそをつかない。21世紀を迎え、日本福音キリスト教会連合の宣教方針として、沖縄地区を代表して提案、しかし受け入れられませんでした。

 Ⅰテモテ2章1節、「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい」。
 今までも、この勧めに応答して総論的には祈ってきました。
今各論的にも祈る必要を覚えます。

昨日も、7年前も、ペンケン祈祷会谷中、祈りと御言葉の導き 再提示

★ 高校生への宣教に生涯をささげた60年来の友吉枝隆邦兄。
エステル4:14を導きにクリスチャントゥデイの働きに確信をもって専念する私を理解し続けたてくれた、開成高校の聖書研究会で出会った、吉枝兄を心よりしのびつつ、康子夫人のお話に聞き入りました。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10215791345567174&set=p.10215791345567174&type=3&theater

☆7年前、第25回ペンケン祈祷会谷中では、25年ぶりに沖縄から関東に戻った私たちが報告。あの時も、昨日も祈りと御言葉の導き、感謝。

エステル記味読を通しての「この時、」の理解
2011年7月18日(月)午後6時半
                谷中、吉枝ご夫妻宅
[1]序
(1)5月24日、25年ぶりに沖縄から戻った「この時に」、ペンケン祈祷会で報告の機会。

(2)エステル記味読の一例・出発点として、
1983年3月に、日本女子大の学生から受け取った葉書紹介。
「聖なる主の御名を心より賛美いたします。
 梅の香りがただよい、暖かい陽ざしに春を感じるこのごろですが、
いかがお過ごしでしょうか。
 先生、一年間、本当にありがとうございました。
先生を通して与えられたみことばの一つ一つが心に刻まれ、
エステル記4章14節は、養護を必要とする子どもへのかかわりについての
はっきりしたヴィジョンとして与えられました。
 小さな子どもとのかかわりは、恐れ多い気持ちでもありますが、何かが欠けているこの社会にあって、神様を恐れる者として生かされていることを子どもたちと共に学んでいきたいと思っています。
 今まで多くの方々にささえられてきたことを感謝しつつ。
 先生、ご家族のみなさまの上に主の祝福がありますように。
                 在主M.M.      」
(3)エステル記の大筋
①王妃の交代1章1節-2章23節
②新しい権力者ハマンによる陰謀3章1節-7章10節
ユダヤ人の勝利8章1節-10章3節

②のハマンの陰謀をめぐり
ハマンユダヤ人を憎む3章1節-15節
エステルに対する期待4章1節-17節
エステルの計画5章1節-7章10節

[2]エステル4章14節
エステル4章14節
「4:14 もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
[この時]の理解
詩篇31篇14節、15節前半
「しかし、【主】よ。私は、あなたに信頼しています。
 私は告白します。
 「あなたこそ私の神です。」
私の時は、御手の中にあります。」

★「時」は、生ける、真の神・愛の交わり三位一体なるお方の御手。
運命などとは全く異なる。

私たちの自分・自己理解の基盤。
聖書に見る時、時間、すぐになどの表現に注意。
カレンダーの活用。あなたは、どんなカレンダーをどのように活用なさっていますか。
参照『愛の業としての説教』中の「一日は千年、千年は一日のごとく」(245頁以下)

[3]エステル記におけるハマンをめぐる課題
(1)反ユダヤ
3章8節
「ハマンはアハシュエロス王に言った。「あなたの王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族がいます。彼らの法令は、どの民族のものとも違っていて、彼らは王の法令を守っていません。それで、彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。」
4章13節
「 モルデカイはエステルに返事を送って言った。『あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。』」
7章3節
「 王妃エステルは答えて言った。『もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください。』」
8章3節
エステルが再び王に告げて、その足もとにひれ伏し、アガグ人ハマンがユダヤ人に対してたくらんだわざわいとそのたくらみを取り除いてくれるように、泣きながら嘆願したので、」

(2)逆転
6章Ⅰ-3節の巧みな役割
7章6節
エステルは答えた。『その迫害する者、その敵は、この悪いハマンです。』ハマンは王と王妃の前で震え上がった。」
7章9,10節
9章1節
「 第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令とその法令が実施された。この日に、ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたのに、それが一変して、ユダヤ人が自分たちを憎む者たちを征服することとなった。」

(3)復讐
9章5節
ユダヤ人は彼らの敵をみな剣で打ち殺し、虐殺して滅ぼし、自分たちを憎む者を思いのままに処分した。」
9章10節
「すなわち、ハメダタの子で、ユダヤ人を迫害する者ハマンの子十人を虐殺した。しかし、彼らは獲物には手をかけなかった。」
9章25節
「そのことが、王の耳に入ると、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたからである。」

[4]集中と展開
(1)集中
エステル記に一度も神の御名が直接記述されていない事実の意味,神の匿名性。わざとらしい敬虔ぶりではなく。
Ⅰコリント10章31節
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」

(2)展開
個人的な復讐、民族的な復讐、国家的な復讐。
規範ローマ12章17-20節
「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。』」

社会正義、公義
ミカ6章8節
「主はあなたに告げられた。
  人よ。何が良いことなのか。
  【主】は何をあなたに求めておられるのか。
  それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、
  へりくだって
  あなたの神とともに歩むことではないか。」

今この時、私なりの展開
①25年の沖縄での生活で出会った方々に祈り支えられて東京へ。深川に生まれた者として故郷東京下町を視野に入れ、千葉県市川市の聖望キリスト教会と宇都宮キリスト集会  に根差した、Ⅱテモテ4章2節の勧告への応答。
 聖望キリスト教会は、10余年前、開成中学1年時のクラスメイト大竹堅固君宅で家の教会として主日礼拝をスタート。最初から現在まで、年に4回主日礼拝と午後の集中的組織的聖書の味わい聖書味読会を私は担当。背後には大竹兄のご両親の戦前からの祈り。

②高校生時代キリスト信仰に導かれ、最初のキリスト証言の場だった母校。
同窓生の祈りの群れペン剣祈祷会に根差して母校関係者への宣教。

祈りの課題
著作集刊行のため
日本女子大での授業と著作集刊行の類似点 誰でも人間なら、対象
参照 新井明先生、『ひとつ井戸のもとで』
文学の役割 文芸同人誌『修羅』紹介

「 ユルゲン・モルトマンの『希望の倫理』

「 ユルゲン・モルトマンの『希望の倫理』
              味読・身読の営み 」,再提示

ちいろば聖書集会では、講師の宮村武夫先生によって、ちいろば聖書塾を
2018年度も、前期4回と後期4回行います。どうぞ皆さまご参加ください。

...

(聖書塾年主題)
「 ユルゲン・モルトマンの『希望の倫理』
              味読・身読の営み 」

 2018年度
(前期日程) 
1.5月13日  2.6月10日  3.7月 8日  4.9月9日 

 (後期日程)
1.10月14日  2.11月 11日  3.1月 27日  4.3月10日 

(場所・時間)   青梅福祉センター集会室  午後2時から4時まで

  (参 加 費)    1回 1,000円  

(講   師)   宮村 武夫 先生
1939年1月東京都深川生まれ。 開成高校時代キリスト信仰へ導かれる。
日本クリスチャンカレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学上智大学神学部卒業。
宇都宮キリスト集会・ちいろば聖書集会牧師、クリスチャントゥデイ編集長、
名護チャペル協力宣教師。

(連 絡 先)   青梅市東青梅6-11-8
             鮫島 茂 0428(22)2183

国立国府台病院に3度目の入院

国立国府台病院に3度目の入院


国立国府台病院に、明日から2週間の予定で、2011年5月沖縄から25年振りに関東へ戻って、3度目の入院です。

 貧血検査の結果数値がよくなく、素晴らしい出会いの経験をした、若い医師から入院検査との指示を受け、承知しました。

 

 動画集録は、4月21日の分まで以下のように収録してあります。

415日  https://youtu.be/aqyJYWi_UY8

 

416日  https://youtu.be/gKYqlgNdel8

 

417日   https://youtu.be/u3bOrd36Xbg

 

418日   https://youtu.be/KNS_hN9XoOk

 

419日   https://youtu.be/m8a29mMXZ2g

 

420日  https://youtu.be/B7Qpwiq_tB4

 

421日   https://youtu.be/QRHJbQEMAgs

 

活用いただければ嬉しいです。4月22日からは、また中断になりそうです。それこそ再度の再開を求めて行きたいです。主イエスの祝福が豊かにありますように。

私たち二人から見れば若い、30代と40代のご夫妻から、いつものように転送

私たち二人から見れば若い、30代と40代のご夫妻から、いつものように転送

Table of Contents
【屋良さん論考特集第3回】
「日米同盟はいかに沖縄差別を利用してきたか 戦時期から続く沖縄統治の方法」
http://www.nd-initiative.org/research/5909/
集英社/情報・知識&オピニオンimidas 2018/2/23より転載)

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【屋良さん論考特集第3回】

ジャーナリストでND評議員の屋良朝博さんが、昨年12月29日、衆議院議員選挙沖縄3区補欠選挙に出馬を表明しました。玉城デニー氏の知事選出馬に伴う議員失職による補選で、玉城デニー知事の後継として立候補することを決意したと語っています。補選は4月9日告示、4月21日投開票です。
ND会員通信では屋良さんが書かれた論考を全4回の特集として掲載していきます。今回はその第3回として、情報・知識&オピニオンimidasに寄稿された論稿の全文を掲載します。ぜひご一読ください。※許可を得て掲載しています。

●屋良朝博さんプロフィール

屋良さんは、沖縄タイムス社の記者として基地問題を担当、論説委員、社会部長などを務めました。また、2006年の米軍再編を取材するため、07年から1年間、ハワイ大学内の東西センターに客員研究員として在籍しました。現在はフリーランスのジャーナリストです。

また、NDの評議員としてNDのシンポジウムに数多く登壇し、沖縄の基地問題について考察の深い発言をしています。
主なものは「沖縄と米軍基地~県知事選で問われるべきは何か」2018/9/13(東京)、「『辺野古が唯一の選択肢』に立ち向かう-安全保障・経済の観点から-」2017/12/11(名護)、「訪米報告会 今こそ辺野古に代わる選択を~ワシントンでの発表を経て~」2017/8/29(東京)、「今こそ辺野古に代わる選択を~NDからの提言~」2017/5/23(東京)2/27(沖縄)など。

「日米同盟はいかに沖縄差別を利用してきたか 戦時期から続く沖縄統治の方法」
http://www.nd-initiative.org/research/5909/

集英社/情報・知識&オピニオンimidas 2018/2/23より転載)
https://imidas.jp/jijikaitai/c-40-108-18-02-g677

「移設先となる本土の理解を得られないなどさまざまな事情で、目に見える成果が出なかった」

2018年2月2日の衆議院予算委員会で、安倍晋三首相は沖縄の米軍基地負担軽減についてこう答弁した。在日米軍基地の75%が集中する沖縄の負担軽減が進まないことの真相がそこにある。自分のところでは嫌だから押し付けているだけ。

首相答弁に対し翁長雄志沖縄県知事は、「県民をないがしろにする理不尽なものだ」と不快感を露わにする。昨年(17年)暮れにヘリコプターの窓枠が落下した普天間第二小学校では、以来、怖くて校庭を使えず、グラウンドから子供たちの笑い声が消えた。それでも、沖縄で良かった、という意識が日本人の心の奥底に宿ってはいないだろうか。

「戦争に負けたから仕方ない」とか、「沖縄は対中国抑止で米軍基地を受け入れるべきだ」といった言説に多くの日本人はうなずき、無関心でいられる。同小学校には「基地ができた後に学校を建てたのだから文句を言うな」「沖縄は基地で食っているだろう」といった暴言が本土側から投げつけられた。毎日新聞はそれを「米軍ヘリ窓落下 被害小学校、続く中傷 のぞく沖縄差別」(2017年12月25日付朝刊)と報じた。

基地問題に横たわる差別。日本人の沖縄に対する仕打ちは戦前戦後、そして現在も一貫して続いている。

「玉砕」と「千秋楽」

沖縄戦末期の1945年6月、沖縄根拠地隊司令官だった大田實海軍中将は那覇市の隣にある豊見城市(とみぐすくし)の海軍壕で海軍次官宛てに電報を打った。瀕死の状況を大本営海軍次官に報告した。(以下、著者現代語訳。電報の原文は防衛研究所所蔵の「南西諸島方面電報綴(昭和20.6)」)

「青壮年は全員防衛召集に応じ、残る老幼婦女子は砲弾の中を彷徨し、風雨にさらされながらとりあえず生き延びているが、戦況の厳しさから軍は住民をかまう余裕がない」。さらに続けて、「若い女性は看護や炊事ばかりか挺身斬り込みすら申し出る者もいる」とし、軍に対する沖縄島民の献身をつづった。

また「米軍に捕まれば老人子供は殺され、婦女子は辱めを受けるだろうと、軍門に娘を置き去りにする親もいた」という。それは軍隊と行動を共にすれば守ってくれる、と信じていたためだろう。

「一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うるのみという。沖縄県民斯く戦えり。県民に対し後世特別の御高配を賜わらんことを」

6月6日の打電後、大田中将は13日に壕内で自害した。

沖縄米軍基地の始まりは住民を巻き込んだ戦争であり、沖縄戦基地問題を考える上で不可欠な要素である。さらに大田中将が大本営に電報を打ってから自決するまでの間、東京両国国技館では大相撲夏場所が行われていた(6月7~13日の7日間)という史実を知るとき、沖縄問題の実相が浮かび上がる。

東京も大空襲の被害を受けていたため、そのときの夏場所はさすがに一般興行とはいかず、傷痍軍人を招いての巡業だった。大田中将が自決した13日がちょうど千秋楽で、翌日の新聞にはその結果が報じられている。

沖縄玉砕と東京の夏場所が同時進行する時空をどう受け止めればいいのだろうか。沖縄に生まれ育ち、両親から戦争の地獄を聞いた筆者にとっては、島に犠牲を招いた為政者が住む中央とのギャップに頭がくらくらするのだ。「沖縄」は日本にとって守るべき領土、国民ではなかった。その扱いは果たして現在は変わっただろうか。

諫山(いさやま)春樹方面軍参謀長はこう語った。「結局われわれは、本土決戦のための捨て石部隊なのだ。盡(つ)くすべくを盡くして玉砕するの外はない」(吉川成美『沖縄戦秘録 死生の門』1949年)。沖縄防衛の日本軍は沖縄守備軍の8万6000人、海軍1万人、そして現地徴用のにわか兵隊2万人の計約11万6000人。対して攻める米軍は54万人だった。周辺の海が戦艦で埋められたという。兵力、戦力、物資のいずれも圧倒的に米軍が凌駕した。諫山参謀長が吐いた「われわれは結局本土決戦のための捨て石部隊なのだ」という表現通り、勝つためでもなく、守るためでもない。最後の一兵まで命を賭し、少しでも長く米軍を沖縄に足止めする任務はすべてが本土防衛のためだった。

軍門に娘を置き去りにした親たちは砲弾が降り注ぐ中を逃げ惑ったことだろう。軍に預けた愛娘の命を思いながら駆けただろう。ところが真実は残酷だ。捨て石部隊に託す一縷の望みなどはじめから叶うべくもなかった。沖縄住民も同様に時間稼ぎの捨て石に使われてしまった。

「沖縄玉砕」と「千秋楽」という二つの言葉が虚しく絡まり、沖縄の犠牲の中に溶け合っていく。

そして米軍による沖縄占領が27年間続いた。

差別を利用せよ――「民事ハンドブック」からわかること

捨て石とされた沖縄を米軍はどう見ていたのかがわかる資料がある。米海軍作戦本部が1944年11月に編纂した「琉球列島に関する民事ハンドブック(Civil Affairs Handbook Ryukyu 〈Loochoo〉 Islands)」。沖縄の歴史、地理、文化、人種、習慣、社会組織、経済などを幅広く分析している。将校らに配布され、戦後の占領政策に大いに活用された。

沖縄の「民族的立場」という項目にはこう記された。本土と沖縄の関係性に対する第三者の見方は冷静、端的で戦略性を帯びている。やや長い引用だが必見だ。

「日本人と琉球島民との密着した民族関係や近似している言語にもかかわらず、島民は日本人から民族的に平等だとはみなされていない。琉球人は、その粗野な振る舞いから、いわば『田舎から出てきた貧乏な親戚』として扱われ、いろいろな方法で差別されている。一方、島民は劣等感など全く感じておらず、むしろ島の伝統と中国との積年にわたる文化的つながりに誇りを持っている。よって、琉球人と日本人との関係に固有の性質は、潜在的な不和の種であり、この中から政治的に利用できる要素をつくることが出来るかも知れない」(『沖縄県史 資料編1』1995年、原文・和訳所収)

米軍には、本土の沖縄に対する差別は明白だった。「沖縄玉砕」と「千秋楽」が同時期に存在したことは、攻める米軍にとっては好都合だったのかもしれない。天皇を中心とした国体護持のシステムの中で最も外側の縁に沖縄があり、米軍はこの関係性を政治的に利用できる要素だと見抜いていた。

なぜなら外国軍の占領、駐留は常に政治的な圧力を受けるため、反対運動が国内問題として発火しにくい場所が基地建設に適している。日本各地で50年代から米軍基地に対する反対運動が盛り上がり、60年と70年の安保闘争へと炎上した。現在、反基地運動は沖縄の風土病のように語られるが、かつて本土でも機動隊との激しいぶつかりあいがあった。非暴力不服従の沖縄のそれはむしろおとなしいくらいだ。米軍を受け入れる韓国、ドイツ、イタリアなどでも同様に反基地闘争はある。

捨て石にされた沖縄なら、米軍の占領、基地建設を進めても日本国内で政治圧力は上がらないと見ていた。それが「民事ハンドブック」から読み取れる。差別構造の中で日本人と琉球人には対立の種があり、それを政治的に利用する。沖縄戦を前に、米軍は基地を長年存続できる仕組みを構想していたともいえる。

ダグラス・マッカーサー極東軍司令官も沖縄についてこう述べている。

「この諸島の住民は日本人とは民族的に同一ではなく、日本の経済福祉に貢献せず、しかも日本人はこの諸島の所有を認められることを期待していない」「琉球の住民は日本人ではなく、本土の日本人と同化したことがない。それに日本人は彼らを軽蔑している。彼らは単純でお人よしであり、琉球諸島におけるアメリカの基地開発により、かなりの金額を得て比較的幸せな生活を送ることになろう」(日本国際政治学会編『国際政治のなかの沖縄』所収のロバート・D・エルドリッヂ「ジョージ・F・ケナン、PPSと沖縄」より)

軍部はことさら琉球の異質性を強調し日本から切り離したがっていたことがわかる。「民事ハンドブック」の内容が軍政に色濃く反映された。マッカーサーは沖縄に空軍基地を置けば極東アジアの戦略拠点となり、日本防衛にも十分な拠点となると主張していた。

戦後、米軍は住民を強制収容所(県内12カ所)に集め、基地建設のため多くの土地を奪った。戦闘行為が終了すると徴用した財産の即時返還が国際条約で規定されているが、アメリカはそれを無視し、沖縄占領を続けた。

マッカーサーの見立ては結果的にその通りになってしまった。その洞察が優れて正確だったことは沖縄で何度も証明されている。沖縄で米軍ヘリが落ち、若い女性がレイプの後に殺害されたとしても「貧しい親戚」の不幸として扱われる。沖縄の基地問題で国会が騒ぎになることもないし、本土側で一部に基地の負担を分かち合おうという声はあるがほとんど広がらない。

筆者の母親は戦時中まだ10代で、熊本県疎開し、終戦を迎えた。その夏、ちょうど山鹿灯籠の時期で、夕闇に灯籠が揺れた。終戦とともに本土では祭りが復活し、平和を実感できた。しかし疎開先で母は沖縄に残した両親らの安否がわからず、ぼんやりと灯籠を眺めるしかなかった。

本土では戦後復興、高度経済成長へと邁進する。他方沖縄は講和条約で本土から切り離され、日本独立の引き換えに米軍に質入れされた。さらに50年代に本土から追い出された海兵隊が移転し、現在の普天間問題へと続いている。

基地を沖縄に置きたがるのは日本政府

沖縄に対する“占領者の眼”は昔もいまも変わっていない。それがわかる資料が最近発掘された。米海兵隊オリエンテーション資料で、本国基地からローテーションで沖縄に派遣される隊員に、沖縄の歴史や文化、生活の注意点などを教えるために作成された。

オリエンテーションのスライドデータなどがイギリス人ジャーナリスト、ジョン・ミッチェル氏の情報公開請求で明らかになった。その中で「沖縄の歴史と政治情勢」のタイトルが付いた資料がある。「沖縄の歴史を学び、日本、米国との関係を理解する」ことによって、「海兵隊と沖縄のより良い関係を見出す」ことを目的に作成された。歴史パートでは12世紀に始まる琉球王朝から、薩摩侵攻、琉球処分沖縄戦、戦後の米軍支配、本土復帰とその後の経済振興までを一通り概説している。

注目したいのが、「日本本土との関係性」に関する記述だ。「沖縄の住民は多くが日本人よりも沖縄人を自認し、愛国的な日本人だと認識する人々は少ない」と沖縄人の独自性を説明。そして日本と沖縄の関係性について、「沖縄は1879年に日本に組み込まれて以来、差別を受けてきた。日本人は沖縄のことを遅れた非日本人とみなしている」と書いた。1944年作成の「民事ハンドブック」が米軍の中でまだ沖縄駐留の下敷きになっているかのような認識だ。

沖縄の基地集中について実に興味深い記述があった。

「日本政府と沖縄県は長年基地をめぐり対立している。政府は米軍基地と部隊を沖縄に置きたがっている(なぜなら本土に代替地を探せないからだ)。日本政府は米軍兵士による事件事故、歴史的な基地の集中を理由に沖縄の負担軽減を求めている」

この文章から、米軍基地を沖縄にとどめ置きたいのは日本政府であって、米軍ではないという事実が明らかになる。例えば海兵隊の移転先を九州などで用意できれば、部隊は移転可能なのだが、日本人はそれを拒絶する。2012年の米軍再編で海兵隊は1500人を沖縄から山口県岩国基地へ移転させようと日本政府に提案したが、当時の民主党野田佳彦政権は拒否した。そのような事例は過去にいくつもある。

冒頭に紹介した安倍首相の答弁の通りだ。安倍政権も普天間飛行場に配備されたオスプレイなどの飛行訓練を佐賀空港に分散移転する方針だったが、地元の反対でその計画は雲散霧消した。政府は沖縄で反対の声をあげても辺野古埋め立てをゴリ押しするが、山口県佐賀県の反対はなぜ許されるのか。

野田政権で民間初の防衛大臣となった森本敏(さとし)氏は、離任会見で沖縄の海兵隊についてこう語っている。

「(海兵隊の駐留地は)日本の西半分のどこかに、その3つの機能(陸戦部隊・航空・後方支援)を持っているMAGTF(海兵空陸機動部隊)が完全に機能するような状態であれば、沖縄でなくても良いということだと。これは軍事的に言えばそうなる」(2012年12月25日)

政府は従来、海兵隊の沖縄駐留は変更不可能な地理的優位性に基づく、と繰り返し説明してきた。沖縄でなくてもいい、という防衛大臣の発言は長年基地問題を取材してきた筆者にとって衝撃的な真実の暴露だった。

しかし森本大臣は現状を追認する理由をこう説明した。日本に「政治的な許容力、許容できる地域」がない。「政治的に許容できるところが沖縄にしかない」とした上で、「軍事的には沖縄でなくても良いが、政治的に考えると、沖縄がつまり最適の地域である」と語った。(同上)

言葉を変えれば、みんな嫌がっているから、日本人が許容できる沖縄を生贄に差し出そう、ということか。日米同盟の正体はそんなものだろうか。沖縄はいまも「捨て石」なのだから、将来再び「玉砕」の悲劇を見る運命を背負わされている。

こちらの記事は、2018年2月23日に「情報・知識&オピニオン imidas」に掲載されています。
https://imidas.jp/jijikaitai/c-40-108-18-02-g677

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