「唯一の慰め」

「唯一の慰め」
小林学長の突然のご召天に直面する中で、「唯一の慰め」との言葉と内容が心に迫りました。
新教新書版のハイデベルグ信仰問答は、竹森先生の訳。解説も大好きです。日本クリスチャンカレッジ1年生の秋から卒業まで、吉祥寺教会の祈祷会に出席、竹森先生から、「唯一の慰め」の解き明かしをお聞きするする機会を与えられました。また埼玉寄居、東京青梅、沖縄首里で、洗礼準備会で一貫して、個の版を用いて来ました。
 今回は、同時代を生きる同志と遠くから敬愛する、春名澄人先生の訳で、通読しました。生死を越える聖徒の交わりを心から感謝します。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1037441143062598&set=a.508715392601845.1073741826.100003901676704&type=3&theater

聖書的エキュメニズムにさらに集中へ、日本福音主義神学会退会

聖書的エキュメニズムにさらに集中へ、日本福音主義神学会退会

 1970年、渡邊公平先生と連れ立って、日本福音主義神学会設立総会出席のため、練馬バプテスト教会向かった日を昨日のように思い出します。

 40数年の恵みの経験を感謝しつつ、今回の全国研究会議を前に退会することにしました。限られた残りの日々を、私なりに確信する聖書的エキュメニズムの道に専念するためです。
 2006年、首里福音教会において、思いを超えた経過で半生を注いだ組織としての教会から身を退くことになりました。
 続いてそこで学び、教え続けた東京キリスト教学園との組織的絆も全くなくなりました。
 そして今、唯一属してきた学会からも退き、人事と経済を伴う組織から離れ、互いに聖書の下に身を置く事実だけ基に広がる、聖書的エキュメニズムのみに身を置こうと覚悟し決断しています。
 この道の狭さと同時に限りない広さ豊かさを確信しながら、残された時の最後まで歩みたいのです。
「ああ神の前に我いそしまん
   業やむる時のまじかき今」。

1977年10月、ニューイングランドの母校訪問を中心に旅行。その旅先からの手紙 その6

1977年10月、ニューイングランドの母校訪問を中心に旅行。その旅先からの手紙 その6

★アラスカで飛行機事故で召された、センド国際宣教団理事長アーストロング先生が、フイリピンのブリオン先生、アメリカグレイスチャペルのマクドナルド牧師、日本の私の3人の交わりの絆を結んでくださいました。マクドナルド先生と私は、一緒にフイリッピンを訪問、毎日見聞の感想を分かち合い、素晴らしい時を持ちました。1977年10月11日は、マクドナルド先生と再開の時でした。
1977年10月11日
「Gordon−Conwell神学校のGoddard記念図書館に来ています。
10年前の図書館の状況を考えれば、夢のようです。
あの当時、Goddard館長が、それまでの経験のすべてを注いで図書館の充実のため忠実な積み重ねをなしておられた万人が認めるところです。そのような先生のもとで、アルバイト学生とは言え、訓練を受けられたのは、今にして見れば小さくない恵みでした。
 さて、ケスター教授(ハーバートでの指導教官)とは、ちょっとした手違いで、10分前後しか話せなかったのは、とても残念でした。しかし、ケスター夫人とは、かなり話せたのです。と言っても、彼女の質問に答えるのが大部分でしたが。
 今度来るときには、前もって連絡するようにと、ケスター先生が何回か念を押されていました。面目ない次第です。

 主日には9時半に,Grace Chapelに行きました。10人いる長老の一人が、建物を案内してくれたり、そこでの教会学校の活動を説明してくれ、教会の全体像を理解する助けとなりました。
 11時からの3回目の礼拝に出席しました。マクドナルド牧師は、ローマ署からとても良いメッセージをしてくれました。
 礼拝後、マグノリ教会のジョンソン夫妻(双子の娘と息子の両親)が挨拶をしてきたので驚きました。ハワイでリッチたちが話していたのを後で思い出したのですが、もう数年前からGrace Chapelに出席し、会員になっているとのことでした。
 マクドナルドご夫妻、二人の子供たちと食事の後、午後3時近くまで、様々な会話を楽しみ、夕方ベティーたちの家までマクドナルド先生に送っていただきました。
 ・・・
 月曜日の10時過ぎに、ニコール先生の家に送ってもらいました。Gordon Collegeのキャンパスには見違えるほど多くの建物が建っていました。しかし全体としては、10年前と変わっていないと第一印象を持ちました。
 昼食後は、アグノリア、グロスター、ロックポートなど、ニコールご夫妻とドライブに出かけました。マグロリアでは、統一教会がアパートを手に入れようとして揉めていること、マグロを買い入れ、飛行機で日本に送っているため、地元の漁業関係者と揉めているなど、ニコール先生が車中で寝ている間、例の調子で次々に話してくれました。
 さらに、どうしてレーン教授(ゴードンの新約学教授三羽烏の一人で、10年の間に離婚された)しないのかと、またまた・・・。
 
 夕方からは、ニコール先生の書斎を見せて頂き、G.Vosの聖書神学の話や、G.Vosの背景について参考になる話を聞きました。満足、満足。
 以上が昨日の行動でした。今日のことについては、また書きます。