敬愛する新井明先生から励ましの便り 再提示

敬愛する新井明先生から励ましの便り 再提示
 
1978年から86年まで8年間、日本女子大学英文科の講座「聖書」を、恩師渡邊公平先生の定年後、担当するようになったのは、大きな恵みでした。
 教会でも神学校でもない場で、率直に聖書の内容を提示、それなりに応答を受け止める励ましの経験は、現在の聖書をメガネに万物を見る道への静かな備えでした。
 当時英文科の中心的な教授・新井明先生との出会いは、その後今日まで豊かな展開をなし、実を結んでいます(宮村武夫著作6『主よ、汝の十字架をわれ恥ずまじ-ドストエフスキーの神学的一考察-、他』の巻頭言「ひとつ体の中で」で、新井先生が紹介)。新井先生と私がそれぞれに小学校時代を過ごした小岩に、私たちが昨年から住むようになって以来、絆はますます固くなりました。
 最近受け取った励ましの便りを、先生の承諾を得て、以下紹介します。
 
「宮村武夫先生 著作集8の出版のめどがついたご様子で、ほんとうにおめでとう存じます。津々浦々で宣教の苦労を重ねておれる方がたが、どれほど力とされることでしょうか。
 カタツムリ様の「喜びのたより」は、まこと歓びです。
今回から顔写真が出てきて、おや?と驚きましたのが、SJさんです。
  私はこの方の結婚にも関わり、この方の父上の死にも共に泣き、名古屋での生き方にも、特に信仰に関しての相談までうけたことを思い出します。夫君は学問的には私の跡をつけてきた人でした。
 しかしJさんの真の生みの親はカタツムリ様でした。先生が目白においで下さらなかったならば、その後の彼女はありませんでした。
 今般、御誌(クリスチャントゥデイ)のコラムに彼女の顔写真をみましたときに「復活」を感じました。
 
 沖縄の痛みが私から消えません。(先生はお苦しみのことでしょう。)
「主よ、平和をわたしたちにお授けください」(イザヤ26:12)
 先生、どうかお健やかに!
    4月10日朝      新井明         」
 
 大学卒業の資格のない私は、「日本女子大わが母校」と、冗談半分、本気半分で言っています。