下川羊和先生の長文の報告ー必要のない方は、読まないでください。しかし私たちのため祈って下さる方は、下川羊和先生のためお祈りくださいー

下川羊和先生の長文の報告ー必要のない方は、読まないでください。しかし私たちのため祈って下さる方は、下川羊和先生のためお祈りくださいー
まことに注目すべき書・The Whole Counsel of God を書き続けておられる、Richard C. Gamble先生に、数年前、日本福音主義神学会の後援会の後で、恩師ロージャー・ニコール先生との関係を述べ自己紹介したところ、即座に、「ロージャー・ニコールの友は、私の友」と明言なさったのです。深く心に刻み、忘れることができません。
  Gamble先生流儀で言えば、私たちのためお祈りくださる方は、爆笑と祈りの仲間・下川羊和先生のためお祈りください。

☆長文の報告
「そして、今日、日曜日の主日礼拝、守られましたということを報告したく。長文ですし、私の恥ずべき話ですので、必要のない方は、読まないでください。
先ほどまでのアップの通り、今朝は日高町冷え込んで非常に美しい朝で、当然、車の運転は細心の注意を必要とする状態だったのですが、道のり3分の2を過ぎた頃、ちょっと気を許した隙に、スリップ。(このところ北海道は全道的に雪、低温零下でしたから、どこででも気持ちを緩めることなどできないはずだったのです。しかも、日高町の方が除雪は進んでいたということが帰りにわかりましたです。)スピードはそんなに出していなかったつもりなのですが、out of control。左側に道を外して転落。あとは、神様におまかせ、シートベルトにおまかせするしかなく、上と下が一回ほど入れ替わったと思います。
 造園会社の敷地と道路の間のちょっと深い溝の底に車の左側を下にしてストップ。シートベルトに守られてどこも怪我はありませんでしたが、車から出られるか不明。
 とりあえず、親に事故ったと連絡しました。2メートル以上、下に落下したと思います。車は横転したまま、道路ははるか上方に見えました。
 一人では車外に出られず。右の扉を上方に押し上げたまま抜けださすことは諦め、助けを待ちましたら、セダンで見えない位置に落ちたにも関わらず、トラックと後続の消防の車の連携で、見つけていただいて、消防の方にドアを持っていただき、はい出すことができました。
 車の側面後部座席の扉の上に立ち上がり、車の落ちた斜面に飛び降りるのは、体の弱った私には勇気のいることでしたが、少し積もった雪がクッションになったようです。
 
 説教原稿を様子を見に来てくれたM姉(感謝!)にお渡しし、私は、車屋さんの迎えを待って、そして、レッカーお願い。教会に届けてもらうことになりました。(車屋さんは教会のすぐ近くなのです。)
 
 渡した原稿が読まれてる最中だったら、嫌だなと思いましたが、主は私を辱めることなく、聖書朗読が終わったちょうどその時に、私は一番前の席に到達し、そして、どうぞ講壇へ、と招かれ、滞りなく奉仕を終えることができました。少し呼気を整える必要はありましたが会衆は全て事実を通して神のことばを聞き取ってくださったことと信じています。
 
 すでに連絡はつけていたので、皆さん、心から心配して待っていてくださったことは、応答の祈りから、ひしひしと伝わってくるものがあり、泣きました。
 人間、歳をとれば涙腺は緩むものですが、北海道に来たこと自体、私にとっては人生の一幕の終わりでしたのに、この夏も危ないところを守られ、そして、またこの冬に危ないところを守られ。神様が生かしてくださるのでなければ、本当に幾つあっても足りないこの命、ただただ主に感謝して生きる他ないと痛感した今日でした。
 
 とりあえず、明日、診療所に行って、鞭打ち等無いか、調べてもらうつもりです。
 雪道でクラッシュした過去2回の思い出、思い出し、そして、今日の守りを思い巡らしています。
 もう少し私が注意深ければ、ということは思いますけれども、私が愚かであるにも関わらず、神様は、繰り返し守ってくださいました。
 今日は詩篇139篇を語りましたが、主の御手はどこにいても私を捕らえる、それは事実なのだとそう語る以外に言葉がありませんでした。今までの人生で、どれほど命を危険に晒したことでしょうか。しかし、今日も守られ、眠りにつくことが許されました。お読みくださった方、心から感謝いたします。北海道の方々、雪道に気をつけるように、本当に書いてくださっておりましたね。北海道4年目では、今朝の天候の危険さを十分に察知することができなかったことがようくわかりました。貴重な経験をさせていただいて、体に別状なく守られましたこと、皆様に神様に心から感謝いたします。
 写真は、撮影したのですが、あまりにも悲惨な状況は、むしろアップロードを避けるべきかと思案中です。見たら、すぐに伝わるものがあるようにも思いますが。
 
 それから、あ〜、今年度の外部奉仕、冬の奉仕は始まったばかりで、来週、再来週とクリスマス奉仕が続きます。来年も1月2月3月と奉仕が詰まっておりまして、どうやって雪道を乗り切るか。雪の季節の始まりに厳しい警告をくらいましたので、これを生かす他ありません。愚僕に主の憐れみと守りが変わらずありまして、諸教会の必要に答えることができますように、主の御名を汚すことのないようにお祈りいただけたら、感謝です。

 以下は今日お話しした聖書の言葉です。旧約聖書ダビデ詩篇です。
139篇1−18節
1主よ。あなたは私の心の奥底まで探り、
どんなささいなことも見のがされません。
2私の立つのも座るのも、すべてご存じです。
遠くからでも、私の心をすべて読み取られます。
3あなたは、🌠私の進む道もご存じで、
どこで休息をとるべきかも教えてくださいます。
どんなときも、私の居場所もご存じです。
4そして、口を開く前から、
私が何を言いたいかも見抜いておられます。
⭐️5あなたは私の前を行き、後ろからも来られます。
あなたは私に、祝福の御手を置いてくださいます。
6このようなことはあまりにも栄光にあふれ、
すばらしい話なので、
ほんとうだとは信じがたいほどです。
7あなたの視界から逃れることは決してできません。
身を隠すことも不可能です。
8天まで昇ろうと、あなたはそこにおられ、

🌟死者の世界まで降りて行っても、
あなたはそこで待っておられるのです。
9朝風に乗って、地の果てまで飛んで行っても、
10あなたの力強い腕は、私を導き、支えてくださいます。
11私が暗闇にまぎれ込もうとしても、
夜は私を照らし出す光となるのです。
12暗闇も、神から隠れることはできません。
神から見れば、暗闇も光も同じようなものなのです。
13神は、精巧に私の体のすべての器官を造り、
母の胎内で組み立ててくださいました。
14こんなにも複雑かつ緻密に
仕上げてくださったことを感謝します。
想像することもできないくらい、すばらしいことです。
あなたのわざは驚くべきもので、
✨私にはとうてい、理解することはできません。
15だれも立ち入ることのできない場所で
私が組み立てられた時、あなたはそこにおられました。
16生まれる前から、まだ呼吸を始める前から、
あなたの目は私に注がれ、
私の生涯にわたるご計画も、
練り上げられていたのです。

💫17-18主よ。
あなたが私をかた時も忘れずにいてくださることは、
ほんとうにたいせつな事実です。
あなたは一日に、数えきれないほど何度も、
私のことを思い起こしてくださいます。
眠っているときも、朝までずっと、
私のことを考えていてくださるのです。

※紀元前1000年頃のダビデは、信仰によってこの神様と自分の近いことを信じ、歌ったのですが、紀元0年頃のイエスキリストの誕生とは、そのようなお方が事実、人の近く生きた人として現れご自分の真実を証しした。ということなのだと、クリスマスとは詩篇の神が人の世に現れて、接した人たちにそういうご自分を事実としてお示しになられたことなのだと語らせていただきました。(つもり)

 帰り道は素晴らしい代車を用意していただき、久しぶりにチャイコフスキーの聖クリュソストモスの聖体礼儀をじっくりと聞きながら、後続車を何台も先に送り、無事日高町に帰り着いたことでした。チャイコフスキーの教会音楽、この音楽に秘められた情緒は何?と思いました。行きは、バッハのイギリス組曲を聞いたのがまずかったかもしれません。非常に流麗な、滑るような指遣いの演奏でした。これはまずい。特に、6番のジク。激しく踊るリズムに合わせてB-A-C-Hの音が鳴り響く瞬間、とか思って聞いてる場合じゃないですよ。北海道は。

羊和先生は、キリスト神学校の教え子です。授業中下ばかり見ていた印象が強いのです。
 ところが211年5月、私たちが25年ぶりで沖縄から関東に戻って間もなく、ある講演会で一つの出会いがありました。
 カルバンの難民としての立場に注目する見事な講演の後の集いで、「宮村先生たちは難民だ」と羊和先生の率直なことばに、何か実感がこもっており三人で大笑い。その後の爆笑仲間への初笑いでした。

 その後も、羊和先生の存在は、私たちにとり不思議な慰めとなりました。
たとえば、童謡説教の集録中、思わず歌いだしたくなる歩だと話したところ、「歌ったら」の一言。そして歌ったのです。まさかの出来事で、慰めでした。