高校の同期・60年来のキリストにある友吉枝隆邦の一言、「クリスチャントゥデイを 宮村武夫君が乗っ取ったんだ」 再録

高校の同期・60年来のキリストにある友吉枝隆邦の一言、「クリスチャントゥデイを 宮村武夫君が乗っ取ったんだ」 再録

★この物騒な言葉、ある意味で、裸の王様の少年の言葉の響きがします。
吉枝君と私の出会いについて、以前に書いた文章です。

「一枚のポスタ−」
―松山の万代牧師と八尾の堀内牧師―

[1] 序
(1)この3月17日と18日の二日間、大阪は八尾、グレ−ス宣教会の堀内顕牧師訪問しました。そして二人がそれぞれに敬愛してきた万代恒雄牧師について語り合い、さらに聖書が提示する救済の豊かさをめぐり心を熱くして対話する格別なときを与えられたのです。
 上記の恵みに先立ち、2007年11月29日に八尾の堀内さんを訪ね、20年振りに再会していたのです。その際、話の流れの中で私が万代恒雄牧師に言及すると、
「万代君は、・・・万代君が・・・」と、堀内牧師が語りだされたのには、いささか驚きました。お二人が「君」呼ばわりをする親しい仲にあるとは、私は知らなかったのです。

(2)話は今から50余年前、1956年にさかのぼります。当時在学していた東京日暮里の高校で、私は一枚のボスタ−を張りだしていたのです。
 その年の3月キリスト信仰に導かれ、小岩アッセンブリ−教会に属していました。
その頃教会で、T.L.オスボ−ン先生の宣教活動を伝える記録映画が紹介されていました。この映画を母校でも上映したいと私は願ったのです。そこで職員会議の許可をもらい、たった一枚のポスタ−を少々緊張しながら張りだしたという次第です。
 ところが、そのポスタ−を学内で聖書研究会を続けていたグル−プが見て、私に会いに来たのです。その後50年余、共にキリストに従う心の友となった吉枝兄など二、三名が。主の導きであったと今も理解します。学内で共に協力しようと互いに決断したのです。 
その時から高校卒業まで、主日礼拝と水曜の聖研・祈祷会は、教会で万代牧師を通して力強く語られる御言の解き明かしに聴き入る。土曜日には、教会の高校生会の活動。
この歩み加えて、高校の学内集会に毎週参加。そこでは、高校生への伝道に専念するHiBAの堀内顕さんが高校生と同じ視線に立ち聖書の教えを展開していたのです。
聖研とは別の日昼休みに屋上に集い、アッセンブリ−の山田亘牧師の心のこもった指導で、校歌と応援歌しか知らない男子中高生たちが、讃美を心行くまで。

[2]万代牧師と堀内牧師、二人の主にある友情
 1970年代半ば、キャンパス・クルセ−ドの金先生の招待で、日本人牧師たちが訪韓しました。そのとき、二人は韓国へ向かう飛行機で同席し、文字どおり出会ったのです。
 
(1)堀内牧師について万代牧師は
 「牧師なのに、ロ−タリ−クラブに加わり、社会の現場で積極的な証をしている堀内君。」
自分と同様、人々の評価などに左右されることなく、いつでも、どこでも弟子の道に徹する主僕仲間(黙示録22章8,9節)への同士愛が伝わって来ます。
 「面白い人だ、堀内牧師は」と、万代先生は話しておられたと君恵夫人からお聞きしました。「面白い人」との表現に、万代先生の堀内先生の言動に対する心の共鳴が響きます。

(2)万代牧師について堀内牧師は
 宣教活動において、いやしのために積極的に祈るように隣席にの万代牧師が勧めてくれた。「十人のために祈り、一人いやされるだけでも宣教の進展に役立つ、二人いやされるなら、なおさらだ。三人いやされるなら、それは野球で言うなら三割バッタ−、大したものだ」と率直なことばをもってと、親友を懐かしみつつ堀内牧師は語るのです。
 またその時、万代先生がアフリカ・ケニア伝道について熱心に語ったことを堀内先生は心に深く刻んだのです。後年、日本国際飢餓対策機構の働きでアフリカ諸国を訪問した際、特別な思いで万代先生のアフリカ伝道を思い起こしたとことばを紡ぐ堀内牧師の姿を見ながら、お二人の心の交流の深さに思い当たるのでした。

[3]万代牧師と堀内牧師、二人に共通した「からだ」の重視
堀内牧師にとって、「日本国際飢餓対策機構」の働きへの導きは、特別な意味を持ちました。
それまでは、伝道一心で、「人の営みの全体像をとらえていなかった」(『餓える世界と私たちの責任』3頁)と深い自覚を伝えておられます。
 万代牧師は、宣教・牧会において「いやし」を大胆に伝える、言わずと知れた、「いやしの伝道者。」
万代牧師と堀内牧師、日本有数の教会の牧会者二人が伝える福音は、「からだ」の重みをしっかり見据えた広義の救済論に根ざしているのです。
 この実例を考えるとき、使徒信條の最後の部分、「罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。ア−メン」において、「からだのよみがえり」が、「罪のゆるし」と「とおしえの命を信ず」の両者の中間に位置する事実に意を注ぐ必要があると覚えます。
 またパウロの救済の神学の最も代表的な箇所。ロ−マ8章18節から25節で、パウロが救済の事実を被造物全体を視野に置き展開している中で、「御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子としていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。」(23節)と、「私たちのからだ」に焦点を絞っている事実を見落とすことはできません。

〔4〕結び
 松山を中心に豊かな福音宣教と教会形成を展開しつつ、主の御許に凱旋した恒雄牧師。
その働きは、子息の栄嗣牧師を中心に継承され、その上さらなる進展の事実を見ます。
 八尾を中心に、福音宣教と類まれなる教会形成において要の位置にあり、またその牧会と不可分な日本国際飢餓対策機構の働きのリ−ダ−である、主の御手にある堀内牧師。
この二人が異口同音に提唱している、「からだ」の救済のメッセ−ジこそ、日本の教会が全力で探求すべき課題だ、そのように私は確信します。