私にとって大村晴雄先生はー宇都宮キリスト集会の特権と責任ー

私にとって大村晴雄先生はー宇都宮キリスト集会の特権と責任ー

以前、以下のメールを書き送りました。
今年クリスマスの時期へ向けて、内村鑑三、青木義雄、大村晴雄の流れを宇都宮キリスト集会として思いめぐらし、証しする機会が与えられると期待しています。

「Y先生、ありがとうございました。心に迫る報告です。
私は、ただ一度大村先生とお話したことがあります。国立のあの共立記念の建物で、たまたまご一緒に宿泊したときです。いろいろな会話を交わしたはずなのに、一つのことだけ鮮明に記憶しています。
 
 大村先生が、一人の日本軍歩兵として、中国大陸を夜間行軍していた時の様子です。行軍しながら居眠りし、居眠りしながら行軍していたと。それは、近代日本の歴史の現実の中で生きた等身大の先生を目の当たりにする感でした。
 
 もう一つの接点は、内村鑑三を基点としての、青木義雄、宇都宮、そして20年来の宇都宮キリスト集会の歩みです。私たち家族は、現在、宇都宮キリスト集会のメンバーです。
 Y先生、改めて報告ありがとうございます。現存する内村書簡の中で最も多いと言われる青木宛のものを読み進めたいです。」

★大村義雄先生ばかりでなく、大村はま先生についても忘れがたい思い出があります。
 私たちが、1986年4月に沖縄に移住した後、一人の中学生が母親と一緒に教会に出席するようになりました。
 埼玉寄居での経験に励まされ、彼女の高校受験準備期間から、土曜日にハイデルベルグ信仰問答を用い聖書の学びを始めました。
 彼女は、志望の高校を経て琉球大学に進み、毎週私が担当していた、小さな、しかし総合大学神学部の役割を果たす志を抱く聖書研究会に参加してくれました。小さくない喜びでした。

 もう一つ喜びがありました。国語教育を専攻した麻美姉が卒論を書くにあたり、大村はま先生の国語教育の理論と実践を取り上げることを勧めたのです。麻美姉の立派な卒論もさることながら、準備を進める過程で私はなにかと教えられました。今の時点で、感謝を新たにしています。