聖書解釈へ小さな一歩と継続ー感謝と自覚ー

聖書解釈へ小さな一歩と継続ー感謝と自覚ー

 「来学年から解釈学を担当するように」と、いつものホ−ク学長とは微妙に違う調子で告げられたのです。そうです。1969年秋も深まる頃、あの国立のキャンパス学長室でのことです。
手短に伝えられた背後の事情は、その後戦後福音派で正当に聞こえる主張と共になされた宣教師方に対する忘恩と私には思える歴史無視の精神と実体の象徴と言うべき事実でした。

 1969年4月に初めて担当したTCC1年生と専攻科生の授業に加え、翌年から解釈学も担当することになったのです。一年目は、従来どおり、バナ−ド・ラムの『聖書解釈学概論』を教科書にして、はじめの一歩。

 2年目からは、手作りのレジメを用いて。その後40年年余、TCCばかりでなくキリスト神学校や沖縄聖書神学校での授業、また幾つかの論文その他で聖書解釈学の課題を取り上げ続けて来ました。かくて聖書解釈学は、小さく弱い私の生涯の詩になりました。
 すべては、ホ−ク学長の未熟な者への委ねに基づく、はじめの一歩からです。深謝あるのみ、ア−メン。

★この一歩は、TCCとキリスト神学校の授業を中心にした私なりの営みにおいて掘り下げてきたつもりです。その報告は、「聖書解釈の基盤と方法(論)をめぐって」をはじめ、 宮村武夫著作5『神から人へ・人から神へ「聖書・神学」考』(2010年、ヨベル)なしてきました。

★神学校の授業を中心とした掘り下げとともに、二つの掘り下げがあったと理解しています。
 一つは、1986年4月に移住した沖縄出の営みです。
「沖縄で聖書を読み、聖書で沖縄を読む」と表現した生活、思索と提唱です。この意識と実践は、2011年5月に、25年振りに関東に戻ってもからも継続されていると自覚しています。例えばの以下のような例のように。
 2013年8月31日ー9月6日沖縄訪問。
9月2日には石川福音教会で、石川福音教会修養会、講師 宮村武夫牧師主題 『年を重ねる喜び−過去・現在・未来−』、
牧師研修会、『聖書の重ね読みを求めて−聖書の釈義か解釈か−』
釈義と解釈(学)の違いと関係を意識するかしないかで、説教にとり決定的な相違が生じると確信しています。

★2014年4月から、思いを越えた経過で従事するようになった、クリスチャントゥデイの働きに参与して以来の歩みです・
 「聖書をメガネに」のモットーのもとに、編集長・論説主事として読み書いてきました。そのすべての根底には、あの時に一歩を踏み出した聖書解釈の課題との取り組みの継続の営みがあったと理解しています、感謝。