敬愛する松谷好明先生の好意ある紹介文、歩きながら神学する愛と洞察の人、宮村武夫” 再録

敬愛する松谷好明先生の好意ある紹介文、歩きながら神学する愛と洞察の人、宮村武夫” 再録

歩きながら神学する愛と洞察の人、宮村武夫
松谷好明(当時、日本基督教団 館林教会牧師、聖学院大学総合研究所特任教授、宮村武夫著作5 『神から人へ・人から神へ[聖書・神学」考』巻頭言)

 それまで活字でしか存じ上げなかった宮村武夫先生に私が初めてお目にかかったのはそれほど昔のことではなく、1997年私が沖縄を初めて訪問し、ある一日(いちじつ)有志の牧師会に参加させていただいたときのことである。先生は、以前から私の名を聞いて知っていたので今回会えるのを非常に楽しみにしていたと言って私を喜ばせ、心から歓迎してくださった。氏と育ちと信仰から来る快活さをもって宮村先生は、ご自分の関心事についてを次々と私にお尋ねになり、私が愚見によく耳を傾けてくださったあと、その倍か3倍ほど(?)先生のお考えを述べられた。嬉しそうに、早口で、次々と論点、ビジョン、思い出の人物論を展開される先生に、私は大いに魅せられた。ナタナエルの如く「この人には偽りがない」と。かくして華麗なる宮村人脈の末端に加えられた。

交わりが始まった当初、先生から矢継ぎ早に送られてくる週報、講演原稿、雑誌に驚き当惑した。しかしながら、類似のことをする多くの人と異なり宮村先生は、印刷物だけ、あるいは1,2行の添え書きで送ってくるような方ではなく、間違いなく多忙であるにもかかわらず必ず手書きで心のこもった短いお便りを添えられるのであった。その温かく真摯な先生の姿勢に促されてそれらの文書をより丁寧に読むようになると、そこに「宮村武夫の世界」が広がっていた。

 宮村先生の語られること、書くことはすべて、神の言葉として先生が全面的に信頼する聖書の深く真剣な学びと、その学びに基づいた説教、あるいは説教を目指す講義、講演、すなわち広義の宣教とに由来する。先生の聖書の学びは、聖書学、聖書解釈学の手続きを無視した主観的、独断的なものではなく、それらをふまえた「複眼的で、個性的」なものである。ここで「複眼的」と言うのは、一方においては、聖書の細部のみならず全体に絶えず視線を向け、全体から細部を解釈するという「木と森」の関係においてであり、他方においては、十字架と復活による救いという最も古い福音を、最新の学問的成果によって常に新しく理解するという方法論的側面においてである。また、「個性的」と言うのは、宮村先生の発想、思考経路、議論の仕方は、先行研究に謙虚に学びつつであるが極めてユニークで、導き出される結論には実践的含み(implications)が豊かだということである。

 先生の聖書の学びは宣教の場でなされ、明確に宣教を目指すものである。その実りは聖書学、組織神学、実践神学、とりわけ宣教学的な論稿である。それらは、学問的な専門性と体系性において完成したものというより、むしろ素描、あるいは覚え書きである。しかしそれらは、内容のない素描、覚え書きではない。鋭い洞察に満ちたものである。その意味で先生は、歩きながら神学する人と言える。彼の筆は事柄に単刀直入に入り込み、問題点を剔抉し、それらに彼自身の解答を出す。彼は逃げずに、自分なりの答えを出す。その答えは、福音宣教の大きなビジョンへと飛躍する大きな可能性を秘めている、という意味でも洞察に満ちている。

 宮村先生の文章は美文的、修辞的なものではなく、単純素朴でありつつ不思議に力と気品に満ちている。一体これはどこから来るのか。それが彼に与えられた文才という賜物から来ることは言うまでもないが、彼の多くの文章に触れると、それらの文章に溢れる香気のためであることが感得される。香ぐわしい香気は、若い時分に教えていただいた教師たちに対する宮村先生の深い尊敬と愛、そして御言葉を述べ伝える相手である会衆、および神学を教える相手である若い学生たちに対する大きな期待と愛情とから出ている。

 宮村先生の自らの恩師たちへの傾倒はほほえましいほど純粋であり、熱烈であり、永続的である。彼らの問題点や欠けは言(こと)挙(あ)げせず、彼らに目を開いてもらったことに限りない喜びを覚え、そのことを感謝をもって常に想起し証しする。しばしば彼の口の端にのぼる恩師たちは、例えば、渡辺公平(日本クリスチャン・カレッジ)、ロジャー・ニコル(ゴードン・コンウェル神学校)、ネメシェギ神父(上智大学)といった多種多様な神学教師たちである。

 教会員、会衆、学生、聴衆に対する宮村先生の無邪気なほどの愛と信頼は、彼らに対する大きな期待となって現われる。そこには、伝道者、教師として自らを召したもう主イエス・キリストに対する責任感と、その責任を遂行する喜びが常に伴っている。宮村先生の目線は会衆の目線であり、学生のそれである。確かに彼は、教会の主からいただいた特別な賜物によって会衆、学生たちよりはるかに遠く、高く、深くを見ている。しかし、それはひとえに、託された羊の益のために、彼らの代表として、かつまた自らも羊の一匹であることを忘れずしてなす牧会の行為であり、その意味で会衆、学生たちとの共同の業であると言える。

 宮村武夫著作集第五巻の本巻には、このように共同の業としてなされてきた宮村先生の聖書と神学の研究と、それに基づく宣教と教育の成果を表わす諸論文が収められている。本巻のタイトル「神学から人へ・人から神へ」は、宮村先生の聖書信仰と御言葉への応答としての聴従を巧まずして言い当てている。本巻に収められた13の論文は、おおむね六つのグループに分けられる。第一は、新約聖書の重要な語句、章句についての釈義的研究(パウロギリシャ語pasの用法、マルコの福音書三章31〜35節をめぐって、の2論文)、第二は、新約聖書の特定のテキストの釈義に基づく、教会およびキリスト者の生についての聖書的教説の展開(ヨハネ福音書十五章26〜27節の一考察、Ⅰペテロ二章21節に見るキリストとキリスト者の結び、ヘブル人への手紙十一章8〜11節におけるアブラハムと都について、の3論文)である。第三は、旧約聖書から先生が特に愛読する預言者エレミヤの書を取り上げ、預言者の全生涯の物語とその教訓、およびエレミヤの生涯の一コマである故郷アナトテにおける土地売買の含意の説き明し、の2論文である。第四は、宮村先生が重視する聖書の解釈学的原理としての聖書構造と、聖書構造の根本を成すその契約構造についてである。その応用ないし具体例として、「ガラテヤ人への手紙に見る契約構造」が付されている、計3論文。第五は、新約聖書の一書もしくは一段落についての主題的、総合的聖書研究(ガラテヤ人への手紙に見る聖霊、ステパノの説教に見るアブラハム像、の2論文)である。第六は、宮村先生の聖書解釈学総論に当たる、「聖書解釈の基盤と方法(論)をめぐって」の1論文である。これは収められた順序としては最後から二番目に位置するから、最終章「ステパノの説教に見るアブラハム像」は宮村聖書学の具体的展開例と見ることもできる。しかし、いずれにしても、この章「聖書解釈の基盤と方法(論)をめぐって」において、宮村先生の福音主義的聖書観が余すところなく論じられている。本第五巻の最重要論文と言ってよいであろう。

 本巻末尾に付された「そば屋のてんぷら、アルファとオメガ―あとがきにかえて」は、本巻所収論論文13本の生み出された背景(Sitz in Leben)を実に見事に宮村流で描いている。その意味で本巻所収論文は宮村武夫先生の信仰と神学の理論的表明であり、「あとがきにかえて」はその実存的表明と言える。従って「あとがきにかえて」は、論文の単なる背景説明に留まらず、論文解説の趣きもある。

 そもそも「そば屋のてんぷら」(宮村先生はこの種の命名の天才である)は、神学者、教師として持っている自らの「制約」を自覚した上でなおなし続ける自らの聖書と神学研究営為を、謙虚に、率直に、ユーモアを込めて述べたものである。つまり、自分の論文は「天ぷら屋のてんぷら」のように高級な専門的なものでなく、「そば屋のてんぷら」だと言う。しかし彼は、神から与えられた制約を真摯に受け止めて「そば屋のてんぷら」を作り続けてきた歴史を振り返る。彼の最初のてんぷら(アルファ)は、約半世紀前の日本クリスチャン・カレッジ時代に柳生望先生から課された「啓示」の課題のために書いたレポートであり、「そば屋のてんぷら」作りの最終形態(オメガ)は、30数年前の沖縄移住に伴う「天ぷら屋のてんぷら」作りの完全な断念と、生涯にわたる畏友、稲垣久和先生の励ましから生まれた「手紙論文」(手紙という形で継続的に書く、信仰と神学についての文章)だと言う。

 「あとがきにかえて」に象徴される宮村先生のユーモアは、天与の性格から来るだけでなく、神によって与えられた数々の悩みと悲しみ、苦しみの経験を祈りによって突き抜けてきたところから信仰のユーモアと取っては誤りであろうか。先生は、彼が愛するエレミヤ同様、嘆きの人、涙の人でもある。孤独な道を歩み、病いに倒れ、時に叫び、時にのたうち回る。その只中で神の愛に捉えられ、その限りない慈しみの内にある自らを見いだす経験が、そのような愛と希望に満ちた信仰のユーモアを彼の内に生み出しているように思われる。

 本第五巻は、「そば屋のてんぷら」作りの終わりを告げるものではない。そうではなく、むしろ、読者との対話を求め、その対話に刺激を受けて「てんぷら」作りに新たに挑戦しようとする宮村先生の青年の如き大志と、おいしいてんぷらを安い値段でできるだけ大勢の人に食べてもらいたいと願う「そば屋」としての矜持(きょうじ)を表わすものである。これまでにいただいた宮村先生のてんぷらの味を本巻によってもう一度味わい楽しむと同時に、しばしば「天ぷら屋のてんぷら」よりも「そば屋のてんぷら」の方がおいしく食べられることを見いだす庶民の喜びを味わいたいと、私は願っている。   (2010・6・23記)