「ジャーナリストとしての内村鑑三」の課題と内村鑑三研究セミナー参加の恵み

「ジャーナリストとしての内村鑑三」の課題と内村鑑三研究セミナー参加の恵み
http://www.christiantoday.co.jp/articles/25678/20180616/uchimura-kanzo.htm
 1959年、19歳の時、日本クリスチャンカレッジ2年生のレポート「教育者としての内村鑑三」(宮村武夫著作Ⅰ『愛の業としての説教』、169頁以下、「教育者としての内村鑑三」)を書き、それが私の生涯を貫き導きとなり続けて来ました。今また、同じ内村が、今度は「ジャーナリストとしての内村鑑三」として、70代最後の私を先導してくれるのです。厳粛な導きに感謝を深めています。
 ジャーナリストとは、定期的な刊行物を通して、時事的な報道や意見を伝える仕事に従事する人々の総称と言われます。そうであれば、内村は生涯の一時期新聞社で働いていたからジャーナリストの側面があると言った話ではない。1900年に創刊した『聖書之研究』を1930年まで専心継続した、言わばオーナージャーナリストであり、ジャーナリスト中のジャーナリストなのです。内村はジャーナリストをやめて、伝道活動へ転身したのでない。ジャーナリストとして伝道者、真の伝道者であるから、志に生きるジャーナリストでもあるのです。
 毎年2月沖縄を訪問していますが、数年前無教会の那覇聖書研究会の主日礼拝後の集会で、敬愛する平良修先生が「冷徹、かつ火のように燃える聖書人」と私を紹介、励ましてくだ下さった事実を感謝し、責任を痛感をしています。クリスチャントゥデイの歩みの中で日々の営みを継続しつつ、「ジャーナリストとしての内村鑑三」の課題を考えています。その際、毎年、内村鑑三研究セミナー参加できるのは大きな特権です。
 さらに毎年発行されている研究誌のバックナンバーを手掛かりに、与えられた課題を思索し続け、忍耐と希望(ローマ8:25)をもって受け止めたいのです。