キリスト新聞の松谷信司社長と宮村のやり取り

キリスト新聞の松谷信司社長と宮村のやり取り

松谷兄→宮村
「晩節を汚すことなく、真実を見極めることができますように。「人件費の重圧」とは、よく平気でそのようなことが言えますね。矢田氏が代筆されているのでしょうか?

宮村→松谷兄
晩年どころか人生の盛り、これから、これから。
「人件費の重圧」、何が問題。
はっきり言いきり、表現してみて。

矢田社長と私は一心同体。
矢田、内田、宮村の掛け算コンビを通して、
6月、7月、8月の日々
どんなクリスチャントゥデイの記事、コラムが。
 先週書いた文章をお手元に、感謝。

★宮村武夫著作『福音の力と事実 テサロニケⅠ.Ⅱ、ガラテヤ、ペテロⅠ』 6月15日発売予定 株式会社 ヨベル
宮村武夫著作4『福音の力と事実 テサロニケⅠ.Ⅱ、ガラテヤ、ペテロⅠ』 
6月15日発売予定 株式会社 ヨベル

★あとがきにかえて ―死と生を越えて、お二人の方の支え―
[1」 序
(1) 2015年5月、宮村武夫著作8『ヨハネに見る手紙牧会 その深さ、広さ、豊かさ』刊行以来3年以上経過して、永田竹司編集長の指導の下、著作集7冊目が刊行されました。
(2) 本著作は、最初の出発から、困難に直面してきました。
 確かに、2009年1月に、著作集刊行の提案がなされ、永田先生が編集長を引き受けてくださることにより、宮村武夫著作刊行委員会が構成されました。順調に事が進んで、11月に第1冊『愛の業としての説教』が世に送られ、1月には、出版記念会が予定され準備が進められたのです。
 ところが12月に私が脳梗塞を発症3ヶ月入院、最初の大きな困難に直面しました。そのさなか刊行委員会からの問いに、「続行お願いします」と明確な君代の応答が起爆となり、半年遅れで出版記念会が持たれたのです。
 その後、大小の困難に直面しましたが、そのたびに直接間接この営みを支えてくださる方が起こされ、また、摂理的な展開に導かれてきました。このような支えとなってくださった方々の中で、平山正実先生と、私にとって二重の同窓であるディヴィッド・ショラー先生について報告したいのです。
[2]平山正実先生から二通の手紙
(1)平山先生から宮村へ
以前から高名なお名前を存じ上げていた平山正実先生から、以下の心のこもったお便りを頂きました。1969年、東京キリスト教短期大学一年生の授業で出会った、坂本(旧姓・風間)道子姉を通しての主にある出会いです。

「宮村武夫先生
頌主
 お手紙ありがとうございます。坂本道子姉との交流を通して、先生とお知り合いになれたことを幸いに思います。
 先生が、坂本道子姉の群れを今後、本格的に御指導されることを、聞きました時、大変安心いたしました。今後も坂本姉を中心とする群れが祝福され、生長いたしますよう御指導お願いします。
 このたび、著作集を刊行された由、もし、内容(目次など)わかりましたなら、お教え下さい。
 私は北千住で、開拓伝道を始めて、7年目に入ります。主として、精神を病んだ方々が中心の礼拝です。
 20名前後の小さい群れですが、よき交わりの中にあります。
 私達の教会のためにも、お祈りをいただければ幸いです。
 今後の御交流、御指導をお願い申し上げます。
2009.9.1
平山正実」

(2)宮村から平山先生へ

私も、平山先生へ沖縄からお便りを差し上げていたのです。距離の隔たりを越えて、主にある交わりが深められていったのです。
「平山正実先生
頌主
 嬉しいお便り、感謝します。
 坂本道子姉は、1969年TCCで私が最初に教えた一年生のクラスの一員でした。
主にある導きのなかで、同労者として、宇都宮キリスト集会に仕えることが許されていること、大きな恵みです。

今回の著作集刊行の計画、三位一体なる神様からの全く一方的な思いを越えた恵みです。
同時に、主にある兄姉の多様な愛を身に受けている事実を深く自覚させられております。
国際基督教大学ICU)の永田竹司先生が、編集長を引き受けてくださっています。
永田先生は、東京キリスト教短期大学専攻科で私が最初に教えたクラスの一人で、卒業後私の母校ゴードン神学院で学び、プリンストンで新約の学位を取られ、ICUで教え続けてこられました。

1986年4月にそれなりの決意で加わった首里福音教会を、思いもよらない経過で離れ、また20代の初めから半生を注いだ日本新約教団が合同しました、日本福音キリスト教会連合の群れからも退きました。Ⅱコリント1章3−11節。
しかし、こうした中で、あの旧約の詩人が経験した恵みの事実は、ささやかな規模で私ども二人の経験ともなりました。
「苦しみのうちから、私は主を呼び求めた。
 主は、私に答えて、私を広い所に置かれた。」
そうした中での著作集刊行の計画が導かれているのです。

昨夜、中嶋聡愛兄と二人の学びの会を、中嶋兄が招待してくれた、ホテルの和食を頂きながら、持ちました。主にある至福のときでした。
中嶋兄は、20年来、私の躁鬱の主治医であり、もっとも激しく宣教に内的に応答する、私の「愛する医師ルカ」(コロサイ4:14)の一人です。
著作集刊行の計画実行と平行して、私のうちに示されている、「残された生涯のテーマ」についてです。レジメを同封させて頂きます。

平山先生の9月の日々の上に、祝福が豊かにありますように。

忍耐と希望をもって(ロ−マ8章25節)。  
宮村武夫・君代」

その後、平山先生から以下の忘れることのできないお便りを頂くことになり、著作集発行についての深い支えとなりました。

(3)平山先生から宮村へ

「宮村武夫先生
頌主
 坂本道子さんを介し先生のことは、よくお聞きし、御尊敬申し上げております。先日は、先生の御著書について、御案内いただき、ありがとうございました。
 私は、五月末、難治性のがんが発見され、現在、入院中です。先生の大著を読みつづける気力はもうありません。しかし、先生のお仕事は、日本のキリスト教の歴史に残ると考えます。そこで、大学の研究費を使って、大学図書館扱いで購入してはどうかと考えました。聖学院大学ゼネラル・サービス(KK)飯塚さん(埼玉県上尾市戸崎1−1)にそちらの出版社の方から御連絡いただき、平山(公用)購入図書として、大学ゼネラル・サービス宛にお送りいただけないでしょうか。よろしくお願い申し上げます。
今後共、どうぞよろしく御指導下さい。
平山正実
2010.7.9」

平山先生が召された後、先生の思いを込めた遺書ともいうべき著書『死と向き合って生きる―キリスト教と死生学』を、私の表現でいえば、味読・身読したのです。確かに、平山先生は召されました。しかし、死を越えて主にある交わりの継続を実感します。その中で、聖学院大学の図書館に受け入れていただいた著作が語り続ける、小さな、しかし深い手応えのある経験をさせていただいています。


★注「宇都宮キリスト集会と私」(宮村武夫著作1愛の業としての説教279〜286頁)

[3]ディヴィット・ショラー先生の存在と支え
(1)ゴードンからハーバードへの一つの流れ
1961年夏、日本クリスチャン・カレッジ4年生の時、軽井沢で開講された黙示録集中講義に参加。講師であるホイートン大学のテニー先生は参加した私たち一同に、著作を通してだけでなく、直接人格的に深い感銘を与え忘れがたい思い出となりました。
あのテニー先生が、私が知る限り、ゴードンからハーバードへ進む新約学徒の先達でした。
今回、心のこもった巻末エッセイで関野先生が詳しく説明してくださっている、G.
ラッド先生は、私と約30年の年齢差があります。先生はゴードンカッレジとDivinity School 両方で学び、ハーバードへ進んだ方で、カナダ生まれです。
 ラッド先生の代表的著作、 A Theology of the New Testament の精読を中心に、私は、キリスト神学校の新約神学の授業を展開しました。私たちが手にする新約聖書の構造を、そのまま自らが理解する新約神学の構造とする、一見素朴に見えるラッド先生の著作の深さと豊かさです。新約聖書の多様性と統一性の両面を視野に入れることのできる視点の利点を私なりに強調してきました。ある時期、くる年もくる年もこの営みを継続しました。
 ただ1つ、ラッド先生の大切な著作に、私なりの留保があります。それは、G・ヴォス先生が新約神学の歴史において占める位置を、ラッド先生ご自身が認める以上に、私自身は深く広いと確信し、その重要性をはるかに強調する点です。
1971年3月、上智大学大学院神学修士課程を卒業するまで数年間、ペテロ・ネメシェギ先生から個人的・集中的ご指導を受けたのは、文字通り主にある恵みです。受けた恵みの1つは、G・ヴォスの聖書神学の源流と呼びたい、エイレナイオスとの出会いです。エイレナイオスの持つ、聖書全体を有機的に見る解釈方法の重要性を把握、提示し続け、後進の本格的研究を期待してきたのです。
上智卒業後も、年月やハンガリーと沖縄の距離的隔たりを越えて、ネメシェギ先生との文通を通して、主にある交わりは続けられたばかりでなく、深められました。
特に、2011年5月、25年振りに沖縄から本土に戻り、2013年には、思いを越えて10月25日に、卒業以来初めてネメシェギ先生と再会また講演会出席。続いて10月30日に2度目の講演会にも出席したのです。

次に挙げたいゴードンからハーバードへ進んだ先達の一人は、私自身がその学識の深さに驚きをもって学んだ、若き日のW.レイン先生です。先生は、ゴードンで学んだ後、ウェストミンスターのストンハウス先生の下で訓練を受け、その後ハーバードに進みました。
そして、今回特別に強調したいディヴィット・ショラー先生です。ショラー先生は、ゴードンとハーバードで私の2年先輩です。
私は若き日のショラー先生の励ましと支えを受け、1966年から67年の1年間で ThM コースを終えることができました。ショラー先生の温かい心と細部にわたる手抜かりのない助けなくしては、新約学セミナーを中心とした激しい1年間の生活に耐えることは、到底できなかったと、今でも感謝しています。
ショラー先生は、ゴードンに来る前、ホイートンでテニー先生のもとで学び、ゴードンでは上級生として、下級生の初級ギリシャ語コースをすでに担当していました。
小さな1つの流れのように、ゴードンからハーバードへ進む新約学の学徒が、現在とは比較にならない小規模な神学教育機関ゴードンから起こされ、聖書そのものを愛する生活態度と知識で、ハーバードでもそれなりの評価を受けていたのです。
私も、その歴史の流れの末端にいる立場を自覚しています。
特にソルボンヌを卒業、ゴードンでテニー先生にギリシャ語を学び、ハーバードで組織神学・教理史の分野で学位を取られた、スイス人の恩師ニコール先生の指導を、先生が90歳を越え、愛する主のもとに召されるまで受け続けた恵みを、今も心から感謝しています。

(2)ショラー先生が永田先生をプリンストン神学校へ推薦
私にとっては、一つの驚きと感謝です。私が、1969年4月、東京キリスト教短期大学専攻科で最初に教える恵みにあずかった永田竹司神学生が、ゴードン神学校とコンウェル神学校が合併したゴードン・コンウェル神学校の第一期生となったのです。そこで、ハーバードで学位を授与した、あのショラー先生と出会い、「わたしが新約聖書学を専攻し、さらにプリンストン神学校で学位修得の道を歩むことに繋がった。プリンストン神学校在学中にもわたしを宮村先生は訪ねてくださった」(宮村武夫著作集5『神から人へ・人から神へ 「聖書・神学」考』330頁)と永田先生が記されている出来事が生じたのです。
 ショラー先生がハーバードでなくプリンストンを永田先生に推薦したと永田先生に初めて聞いたとき、私はその意図が十分理解できませんでした。しかし、永田先生の生涯の歩みを見るとき、ショラー先生の推薦は正解であったと納得するのです。

(3)ショラー先生(David Scholer、1938–2008)の生と死を越えて
 ショラー先生は、ゴードンから始まり、その後二つの神学校で教え、最後に1994年から2008年までラッド先生と同様フラーの新約教授、しかも末期がんの身をもって聖書のメッセージを伝え切ったのです。

①女性教職について
 ショラー先生が36年にわたる四つの神学校の教育で一貫して教え続けてきたコースがあります。そうです、”Women and Ministry in the New Testament and the church Today”です。福音書の注意深い研究とパウロ書簡の豊かな研究に基づく授業です。婦人は教会では沈黙を保つべきとの主張に対して、ショラー先生はアメリカンバプテストの教職者として、女性が教会の働きに全面的に参加すべきと教え続け、個人的な指導とともに女性教職者の道を歩む学生が起こされたのです。
 ショラー先生の聖書に固く立つ女性教職者についての提言の一貫性は、時代的背景や教派的背景の中で顕著です。

②ショラー先生召天までの6年半
ショラー先生は、1994年から2008年までフラー神学校で顕著な研究と教育の働きをなし続けて来ました。特に、最後の6年半はがんの発症と治療の中でなし続けられ、授業を聴講した学生や同僚教師、さらに地域の新聞などを通して深く広い影響が及びました。ショラー先生特愛のローマ書8章、特に38、39節「・・・」を身をもって伝えたのです。
 愛に満ちた神様は、悪の作り手でも、原因でもない。神ご自身は、我々と共に苦しみ、聖霊ご自身はうめきをもってとりなされる。主イエスは、友人ラザロの死に当たり、断腸の涙を流された。このようにショラー先生は伝えております。
 永田先生から頂いた大切な二枚のCDがあります。一枚は、2008年フラーの卒業式におけるメッセージ・ショラー先生による最後のメッセージです。Ⅱコリント4章7節に基づく土の器としてキリストを宣べ伝える生活と生涯への呼び掛けです。
もう1枚は、パサディナ第一バプテスト教会における説教「がんとの闘いと信仰(Living with Cancer)」です。

[4]集中と展開
平山先生とショラー先生は、ご両人の生と死を通して、著作集誕生の支えとなり、その存在の意味について励ましてくださっています。
 私にとって、平山先生のご配慮によって、著作集が聖学院の図書館に所蔵されている事実は、小さくない励ましです。
 ショラー先生は、永田先生と私と両名の生涯に深い関わりを持ちつつ、本著作集を底から支えてくれています。そうです、ショラー先生は、永田先生と私を通してばかりでなく、本著作集を通しても、日本の教会に語り続けてゆかれます。その事実を覚えて、ショラー先生への感謝を新たにするのです。