著者自身から、この本出版の意図と内容紹介

著者自身から、この本出版の意図と内容紹介

★インターネトのマイナス面にうんざりすること、確かにあります。
同時に、インターネトならではの経験も少なくありません。
 高校の後輩が、思いがけず私の書いたものに「いいね」の応答してくださったことを契機に、彼の著作をめぐり対話が展開しようとしているのは,好例の一つです。
 私たちの共通点は、無知・限界の自覚とその中での求道と私は理解しています。
 さらに私の立場を積極的に言えば、何でも知っているわけではない。しかひ何にも知らないわけではない。聖書・神の啓示-言葉を通して物事を認識する恵みを与えられている・、感謝。

★「東大教授が挑む AIに『善悪の判断』を教える方法」の出版の意図と内容紹介
東京大学 鄭 雄一

 中学高校時代(宮村様と同じ開成学園です)、様々な社会課題に疑問を感じ、自分なりに読書を積んできました。
「どうして世の中には差別や格差や分断があるのだろう」
「どうしたら解決できるのだろう」
解決法を見出すためには、善悪についての信頼できる物差しが必要であると思いました。それは道徳哲学にあたると思います。
どんな道徳哲学を使えば、この世の問題を客観的に計測して、その対処法を示せるかと、ずっと考えてきたと思います。
そのような問題意識から、哲学の本を読み漁ったのですが、どれも納得がいきませんでした。
また、世の中では、右翼的な考えのグループと左翼的な考えのグループがいつも対立していて、お互いを蛇蝎の如くけなし、それなのに、どちらも有効な解決法が提示できず、うんざりしていました。
しかし、自分自身も両方の考えはだめだと思うだけで、明確な理由を示すことができず、ずっともやもやとしていました。
転機は、2001年の9月11日のテロです。この事件で驚いたのは、このテロ行為を擁護するごく普通のイスラム教徒の方もかなりの数見られ、しかも、それを非難したこれまたごく普通の人々によりイスラム教徒に対する差別がおき、開明的という印象の強いアメリカ社会が分断されたことでした。
グローバル社会にあって、従来の道徳には空白が生じている、新たな道徳哲学が求められていると感じ、より時間を割いて取り組むようになりました。

私のバックグランドについて述べさせてください。
いわゆる典型的な右利きでも左利きでもありません。どちらもミックスして使います。主な利き手は、野球・ゴルフは右で、テニス・卓球は左。字は右、絵は左です。
いわゆる典型的な日本人でも韓国人でもありません。日本に移住して三代目で、文化的には凡そ95%日本:5%韓国です。
いわゆる典型的な医者でも工学者でもなく、もともとは医学部の出身ですが、今は医学と工学の横断領域を研究しています。したがって学問の専門化による縦割りにも無頓着です。「なんで医学部出身者が道徳を研究するのか」と言われましたが、逆に「誰がいつのまに専門外のことは何も考えたり研究したりしてはいけないと決めて分断したのか」と疑問に思いました。

このような背景から、もともと物事を、0か1かの二分論で見るという習慣がほとんどなく、0.5:0.5や0.2:0.8など連続的に捉える習慣があります。

また、工学部で高分子物理の優れた研究者と共同研究をしているうちに、彼が使っている粗視化の考え方について学ぶ機会をました。高分子の本質的特徴を考える上で、一つ一つの単位分子に焦点を当てるのではなくて、特徴が現れるまで、すこし視野を引いて物事をみるという手法です。

このような二つの観点から、これまでの混沌とした道徳哲学を眺めると、「社会中心の考え」と「個人中心の考え」にきれいに分類できることに気付きました。これが突破口でした。
このように分類することで、人間の道徳は、もともと「仲間に危害を加えてはならない」という全社会に共通の掟と、「仲間と同じように思考・行動せよ」というそれぞれの社会に個別の掟からなり、二重性をもっていることが分かりました。
さらに、「仲間」ということばの重要性に着目することで、二つの掟を統合して「仲間らしくせよ」という基本原理で表現できることが分かりました。仲間の範囲から、道徳を4つの階層に分類することも提唱しております。
この基本原理を用いることで、差別・格差・分断を正確に分析し、相対的な掟をターゲットとして、具体的な解決策を示す段階まできていると思っております。
これまでの、いわゆる右翼的な考え方は、明確にルールを決め、安定した道徳の枠組みを提供できるものの、「仲間の範囲」が狭すぎることがわかります。自分と同じグループに道徳の適用範囲を限定していて、例え善良でもグループ外の人間には非道徳的行為をして平気です。
その一方、いわゆる左翼的な考え方は、柔軟で開放的ですが、「仲間の資格」が歪んでいます。生物学的人間一般であれば道徳を適用するという考えで、共通の掟を守れない社会の構成員となる資格のない人間まで無差別に含んでしまっています。

従って、全ては「仲間の範囲」と「仲間の資格」に整理して論じることができます。ここから、従来の考え方を超克した、未来への道徳の指針は、「共通の掟を守る限り仲間と認め、個別の掟には最大限寛容になり多様性を認めること」と明確に要約されます。この考え方は、本来のイエス・キリストの考えと決して矛盾しないと思っております。

とはいえ、人間は、こと道徳に関しては頑固で、すんなりと他人の言うことを聞かないことも重々承知しています。生活の中で染みついた習慣に近いものですので。
そこで、基本原理に基づいて、AI・ロボットの専門家との方々と「道徳エンジン」を設計・作製しつつあります。近い将来、家庭に一台ロボットが入ると予想され、そのロボットに最高階層の「道徳エンジン」を搭載することで、「ロボットの振り見て我が振り直せ」よろしく、人間がロボットをまねることで成長し、差別・格差・分断を乗り越えていくことを画策しております。特に子供たちは柔軟ですので、ロボットが優れていれば、こだわりなくまねをしてくれると思っております。
荒唐無稽のようですが、それほど遠くない未来に、皆さんに、プロトタイプをお示しできるかと思っております。

今回拙著には、章末に演習問題をつけ、そのヒントも載せております。混沌とした現実を整理するために少しは役立つのではと思っておりますので、ぜひ、御機会がありましたら、手に取っていただければと思っております。

以上