2010年11月4日(木) 東京基督教大学設立20周年記念礼拝 『・・・つつの恵みー神学とは何か・生き方死に方を求めてー』 ヘブル人への手紙12章2節

2010年11月4日(木)
東京基督教大学設立20周年記念礼拝
『・・・つつの恵みー神学とは何か・生き方死に方を求めてー』
ヘブル人への手紙12章2節

[1]序
(1)住吉英治同窓会会長よりの依頼。応答への二つの理由。
①2009年12月18日脳梗塞発症、多くの祈りへの感謝。
②2000年東京基督教大学設立10周年記念礼拝担当『保線夫として』。その後の報告の責任と特権。

(2)『・・・つつの恵み』とは
聖書解釈学の授業、ホーク学長から継承、東京キリスト教短期大学で。
 後に、東京基督神学校で。また沖縄聖書神学校で、聖書解釈学の授業担当。
その際、必ず紹介した文章があります。『キリスト教綱要』の序文・「ジャン・カルヴァンより読者の皆さんに」の最後で、カルヴァン(1509〜1564)がアウグステイヌス(354〜430)の書簡から引用している、以下の文章です。
 「わたしは進歩しつつ書き
  書きつつ進歩する人の一人であることを告白する」。
ここに、「・・・つつ」の実践・『一度にすべてでなく』、継続と継承。

(3)今回の宣教の基点・基盤、ヘブル人への手紙12章2節
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」

[2]ヘブル人の手紙に見る。神の民の死と生
(1)イサク、ヤコブ、ヨセフの場合、ヘブル11章20、21、22節
①イサク、11章20節
「信仰によって、イサクは未来のことについて、ヤコブエサウを祝福しました。」
ヤコブ、11章21節
「信仰によって、ヤコブは死ぬとき、ヨセフの子どもたちをひとりひとり祝福し、また自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝しました。」
③ヨセフ、11章22節
「信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子孫の脱出を語り、自分の骨について指図しました。」

(2)アブラハムをはじめ「この人々はみな」、ヘブル11章39,40節。
「この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。 神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。」
「この人々」、「彼ら」、アブラハムをはじめ、すでに死んだ人々との関係を重視している。

(3)神のみことばを伝えてくれた指導者たち、ヘブル13章7節
「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。」
 すでに死んだ指導者との関係に焦点を合わせている。
 思い出す、想起、記憶、ヨハネ14章26節。
「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」

[3]ヘブル人の手紙に見る、イエス・キリストの死と生
(1)「キリストはいつも生きていて」、ヘブル7章23節と25節の鋭い対比。
ヘブル7章23節
「また、彼らの場合は、死ということがあるため、務めにいつまでもとどまることができず、大ぜいの者が祭司となりました。」
ヘブル7章25節
「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」

(2)イエス・キリストは、ヘブル13章8節
イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」
イエス・キリストの死の事実は、前提とされながら、現に今、生きておられる事実を全面に提示。

[4]集中と展開
(1)集中
ヘブル12章2節
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」
①「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」→
最初のヘブル人の手紙の読み手・今ここでの読み手の私たち各自のなすべきこと。
②「イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせず」→十字架の死に直面する中で。
③「十字架を忍び」→十字架の死そのものに対して。
④「神の御座の右に着座されました。」→十字架の死を超えて今。

(2)展開
①歴史を忘れない。歴史は非人格的なものでない。「雲のような証人」に対するセンス・感受性←→鈍く、愚かな健忘症。
あるべき姿の一例として、徳丸教会の朝岡勝牧師の場合。

ヘブル12章1節前半
「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから」、

死者との交わり、誤解を恐れずに。より一般的に、地上の戦闘の教会と天上の勝利の教会。

切り離せない13章7節と8節・
ヘブル13章7節
「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。」
ヘブル14章8節」

②「私たちも」、今このときの責任と特権
ヘブル12章1節後半
「いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」
歴史を見るだけでなく、歴史(過去ばかりでなく未来の)に見られている明確な意識を持ち、歴史を形成して行く。それこそ「忍耐をもって走り続け」る、「・・・つつの恵み」であり、私たち各自の生活・生涯をもって彫り刻む生き方、死に方の神学。

③今、未来・将来を宿す事実と意識
ヘブル7章9,10節
「十分の一を受け取るレビでさえアブラハムを通して十分の一を納めているのです。
というのは、メルキゼデクがアブラハムを出迎えたときには、レビはまだ父の腰の中にいたからです。」