パリに40年余滞在、活躍する宇都宮出身の女性画家とのメールの交換

パリに40年余滞在、活躍する宇都宮出身の女性画家とのメールの交換

偕子姉
頌主
 うれしい、興味深いメール感謝します。
40年余の生活がどれほどのものであったか滲み出ているメールです。
エスの顔姿声を追いかけている一生は、ご両親譲りのものと覚えます。

二人の孫のために祈る人、二人
―宇都宮キリスト集会尊い宝・風間サク姉の誕生日祝い―

沖縄からご挨拶を送ります。
風間サク姉、89歳のお誕生日、おめでとうございます。
このお祝いの日に、二つの聖書の箇所を心から奉げたいのです。

最初の箇所は、創世記48章です。
ここでは、年老いたヤコブ(創世記47章27,28節)が、二人の孫エフライムとマナセの頭に手を置いて祈る感動的な場面が描かれています(14節)。
ヤコブは祈るのです。
「私の先祖アブラハムとイサクが、
 その御前に歩んだ神。
 きょうのこの日まで、
 ずっと私の羊飼いであられた神。
 すべてのわざわいから私を贖われた御使い。
 この子どもたちを祝福してください」(15節、16節前半)。
そうです。全く同じです。
宇都宮の地で、二人の娘の二人の孫のために祈る、私たちの風間サク姉。
まさに聖書の世界そのものです。
同じ祝福の祈りです。三代を貫く祝福の祈りです。

もう一箇所は、詩篇92篇13−15節。
何の説明も必要ありません。そのものずばりです。
「彼らは、主の家に植えられ、
 私たちの神の大庭で栄えます。
 彼らは年老いてもなお、実を実らせ、
 みずみずしく、おい茂っていましょう。
 こうして彼らは、主の正しいことを告げます。
 主は、わが岩。主には不正がありません。」

宇都宮キリスト集会一同から、
風間サク姉、主にあっておめでとうございます。
もう一度言います。主にあっておめでとうございます。
ア―メン、ア―メン、ア―メン、心からの感謝こめて。


以前、沖縄から宇都宮のお母様の誕生日に送ったものを添付し、主イエスのイメージがさらに豊かに浮かび上がることを願います。
ご家族の上に祝福が豊かにありますように。
忍耐と希望(ローマ8:25)
宮村武夫・君代

From: Tomoko OBER-KAZAMA tomoko.artkao@hotmail.fr]
Sent: Saturday, November 4, 2017 7:00 PM
To: miyamura@christiantoday.co.jp
Subject: ありがとうございます

宮村先生、
メールありがとうございます、その後お元気でしょうか?
私は足の甲を痛めましたが2日後に回復しました。でもその後風邪で2週間近く何もせず(できず)休んでいましたが、今は元気になりました。私は休息の方法を知らず、この年齢になるまで風邪を引いて初めて休む、という事で突っ走ってきました。弓は張りっぱなしではダメという事は知っているのですが、性格ですね。
 ご存知のようにフランスは’ローマの長子’と言われているほど歴史的にカトリックの国ですが、やはり不満分子がいつの時代にもおりプロテスタントという形で現れました。パリでの又はヨーロッパでのプロテスタントの立場は、オ-バーに言いますと「日陰者・裏切り者・反抗者・金の亡者」等の烙印の影を感じます。この影はそっくりユダヤ人にも当てはまるようです。以前友人のイラン人彫刻家で彼の仏人の奥さんを紹介された時、彼は私に「トモコと同じ彼女もユグノーで、頑固で堅物で...」と笑いながら話した時、その部分の歴史のぺ-ジが開かれたのです。久しぶりに聞くユグノーと言う言葉に懐かしさを覚えました。
 聖職者と王侯貴族や権力者達と結びついている教会に対して中産階級が起したフランス革命第2次大戦後のフランス政府の政治と宗教の強い分断、などを通し現在まで来ています。しかし一般庶民は昔からの生活習慣や、その上フランス語自体聖書から由来するユダヤ人の言葉・知恵にどっぷり浸っているのでユダヤ教カトリック教とは切り離せないのです。パリがローマの支配下にあり、キリスト教を国教とする以前の古代では原始宗教の祠が今のノ―トル・ダム寺院の所にありました。現在もヨーロッパ人の森に対する崇高な意識もここからきているようです。クリスマス・ツリ―等はその名残で、古来民族宗教カトリックが合体し、取り込んでいることが多々あります。
 小さい時見た教会内に張ってある宣教師が持ってきたイエスの姿顔は幼心にも異質に感じました。
金髪の白人の大人しそうな、あの例の顔です。そしてパリで会った友人の中近東の人たちの顔を見てこの顔の方がイエスに近いと感じました。12使徒たちに近い顔も、と想像すると楽しいです。そうすると聖書も見方も変わってきますし、彼らから話してもらったアラム語の詩のような旋律にも心を打たれました。私の夢はダマスコに行き、近くのアラム語を話す人たちのいる村に行くことでした。が残念ながら戦争で断念、でも別のシリアの友人があそこに連れて行ってあげると最近言ってくれました。

と私は一生イエスの顔姿声を追いかけているみたいです...。
失礼し、自分の勝手な考えをズラズラ書きました。
偕子