40数年パリで滞在活躍する、宇都宮出身の女性画家からメール

40数年パリで滞在活躍する、宇都宮出身の女性画家からメール

「宮村先生、
メールありがとうございます、その後お元気でしょうか?

私は足の甲を痛めましたが2日後に回復しました。でもその後風邪で2週間近く何もせず(できず)休んでいましたが、今は元気になりました。私は休息の方法を知らず、この年齢になるまで風邪を引いて初めて休む、という事で突っ走ってきました。弓は張りっぱなしではダメという事は知っているのですが、性格ですね。
 
 ご存知のようにフランスは’ローマの長子’と言われているほど歴史的にカトリックの国ですが、やはり不満分子がいつの時代にもおりプロテスタントという形で現れました。
 パリでの又はヨーロッパでのプロテスタントの立場は、オ-バーに言いますと「日陰者・裏切り者・反抗者・金の亡者」等の烙印の影を感じます。この影はそっくりユダヤ人にも当てはまるようです。以前友人のイラン人彫刻家で彼の仏人の奥さんを紹介された時、彼は私に「トモコと同じ彼女もユグノーで、頑固で堅物で...」と笑いながら話した時、その部分の歴史のぺ-ジが開かれたのです。久しぶりに聞くユグノーと言う言葉に懐かしさを覚えました。
 
 聖職者と王侯貴族や権力者達と結びついている教会に対して中産階級が起したフランス革命第2次大戦後のフランス政府の政治と宗教の強い分断、などを通し現在まで来ています。しかし一般庶民は昔からの生活習慣や、その上フランス語自体聖書から由来するユダヤ人の言葉・知恵にどっぷり浸っているのでユダヤ教カトリック教とは切り離せないのです。
パリがローマの支配下にあり、キリスト教を国教とする以前の古代では原始宗教の祠が今のノ―トル・ダム寺院の所にありました。現在もヨーロッパ人の森に対する崇高な意識もここからきているようです。クリスマス・ツリ―等はその名残で、古来民族宗教カトリックが合体し、取り込んでいることが多々あります。
 
 小さい時見た教会内に張ってある宣教師が持ってきたイエスの姿顔は幼心にも異質に感じました。金髪の白人の大人しそうな、あの例の顔です。
そしてパリで会った友人の中近東の人たちの顔を見てこの顔の方がイエスに近いと感じました。12使徒たちに近い顔も、と想像すると楽しいです。そうすると聖書も見方も変わってきますし、彼らから話してもらったアラム語の詩のような旋律にも心を打たれました。
 私の夢はダマスコに行き、近くのアラム語を話す人たちのいる村に行くことでした。が残念ながら戦争で断念、でも別のシリアの友人があそこに連れて行ってあげると最近言ってくれました。

と私は一生イエスの顔姿声を追いかけているみたいです...。
失礼し、自分の勝手な考えをズラズラ書きました。
偕子」