恩師渡邊公平への二通の手紙

恩師渡邊公平への二通の手紙

★1977年10月、ニューイングランドの留学から10年、沖縄へ移住前10年の時点に、ニューイングランドの母校訪問を中心に旅行をしました。その際書いた手紙を読むことを通して、70年代さらにこの50年を回顧し、同時に現状を聖書をメガネに受け止め、この後10年を展望する基礎を確認できればうれしいです。
 そうです。こうした歩みへの手解きをしてくださった方は、日本クリスチャンカレッジ4年生の時出会った渡邊公平先生です。
 沖縄から渡邊先生に差し上げた、以下の2通の手紙を、学恩への言時点での感謝の応答と改めて覚え、1977年を視点に2017年の課題を視野に納め、聖書をメガネに見る、小さな営みを始めます。
 そうです。渡邊公平先生は、組織神学の学びの手ほどきをしてくださり、私が生涯の岐路に立つとき、進むべき道を選択する際の基盤を据えて下さいました。先生のご召天後も、お聞きした先生の言葉や著書、また私がお話ししたり書いた手紙を通して、対話が継続しています。実に生涯の恵みであり、死を越えた恵みです。

手紙Ⅰ
頌主
東京地方の大雪のニュースを、自動車の中では、時によってはクーラーをつけるような状態の中で聞いております。
この度は、ご丁寧な手紙、またお心のこもった献金をご恵送くださり、恐縮しつつも、感謝致しました。

お送り頂きましたもので、記念として二冊の本を購入しました。
川村輝典著『ヘブル書の研究』(日本基督教団出版局)
ベルトールト・クラッパート著、寺園喜基編『和解と希望―告白教会の伝統と現在における神学』(新教出版社
現在、主日礼拝では、1ヨハネを読んでおりますが、次には、ヘブル人への手紙と願っております。そのために、川村先生のもの、とても役立つことを確信します。
クラッパートのものは、少し前に彼の小さな本を読み、深く共鳴しておりましたので、この論文集を購入しました。バルト・ボンヘッファーの線に立つ、しかもインドネシアで宣教師の子どもとして育ち、幼児期に、日本との接触を持って著者との対話をと願っております。

沖縄聖書神学校の小さな、小さなクラス。
私にとって初めて組織神学の授業です。『キリスト教綱要』をテキストに、4年間かけて一人で教える経験を与えてくれました。手探りの状態ではありましたが、それでも貴重な体験でした。
カルヴァンの自身は『網要』を読んだのではない。
そうではなく、『網要』は、「ジャン・カルヴァンより読者の皆様へ」において明白に書かれているように、聖書そのものを読むための手引書。その著者の主旨に従い、『網要』を手引きとして、聖書そのものを読む読み方を学び、伝えたいと意識的に努めてきました。この線は、基本的には正しかったと判断します。

例えば、第二編。第12章から、キリストの人格と業について直接言及する前に、1章から11章(12章から⒘章よりも多い章数)においては、旧約聖書新約聖書の一貫性と進展性(区別性)の課題に集中している。そしてそのことが、12章〜⒘章のキリスト論の展開において豊かに結実している。今までの聖書学の学びが助けへとなっております。

渡辺公平先生の日々、父なる神の豊かな祝福が益々ありますように、心より感謝しつつ。
2001年1月30日
宮村武夫

渡邊公平先生

手紙Ⅱ
頌主
9月に入り、御地においては次第に秋の深まりを増し、過ごしやすくなっているのではと期待致しますが、いかがでしょうか。
沖縄でも、赤とんぼが飛んでいるのを見たりすると、「沖縄の秋」を感じます。

4月より、沖縄聖書神学校校長をキリストのくびき(マタイ11章29節)と理解し、引き受けました。6年前から組織神学の担当を始めたことに重ねて、直線コースに入った自分の生涯の使命を明示されていると心に刻んでおります。それは、聖書神学ばかりでなく組織神学に裏打ちされた説教・宣教。説教・宣教において、生き生きと展開される聖書神学、また組織神学です。

そうした中で、キリスト教学園での「保線夫として」の講演は、やはり一つの節目であることを改めて覚えます。また、第11回全国研究会議(「福音主義神学における牧会」)における役割(加藤常昭先生への応答、「愛の業としての説教」)を、主から与えられた機会と感謝します。

渡邊公平先生から注いで頂いた学恩を日々感謝して。

2002年9月15日
宮村武夫

渡邊先生