宗教改革500周年 エキュメニカルな視点からの評価と課題                       名古屋キリスト教協議会議長 松 浦  剛 その3

宗教改革500周年
エキュメニカルな視点からの評価と課題
               
            名古屋キリスト教協議会議長 松 浦  剛 その3

Ⅴ.日本イエス・キリスト教団の現状・課題

 わたし自身が所属している日本イエス・キリスト教団がどのような教団であり、おおよそ現状はどのようなものか、課題はどの辺にあるのかを述べさせていただきます。
 元来、この教団の出発点は1935年に日本伝道隊(Japan Evangeristic Band)から自立した35教会が日本イエス・キリスト教会という教団を設立したことに始まります。1941年には日本基督教団に合流します。太平洋戦争が終了して6年経ったとき、1952年に日本基督教団から離れた21教会で、日本イエス・キリスト教団を設立いたしました。最初の20年間は、全教会が自立して宣教と教会形成に励みました。20年を過ぎてからは困難な現状にある教会と牧師に対して教団の名のもとに援助金を送るような働きがされるようになります。教職者を養成する神学校が兵庫県神戸市にあった関係で、教会の分布は兵庫県大阪府に片寄っておりました。それではいけないということになり、教団設立後20年ころから仙台、名古屋、堺、広島、小倉というような政令指定都市にも開拓伝道を開始します。海外からの支援金はなく、とにかくささやかな資金をやりくりしながらの開拓伝道ですから、名古屋も含めた5地区の伝道は厳しく、年月を多く掛けなければ確立しない側面がございました。
 
 現在、北海道から沖縄まで128教会があります。日曜日礼拝に200名かそれ以上の信徒が出席する教会が約10教会与えられています。1971年からは宣教師を台湾、インドネシア、ネパール、韓国などに送り出してきました。教派色としてはメソジスト系のプロテスタント教会ということができます。牧師たち全員が社会保険と厚生年金に加入しています。牧師が75才で現役を引退するときには、教団の責任でまとまった退職金を支給するようになっています。教会が小さいところ、大きくても宣教困難な地にある教会には援助金が教団事務所から送金されています。それは良いこととされてきましたが、一方では牧師と信徒たちが真剣に宣教に取り組む意欲と信仰が少なくなってきている現状を生じさせています。また、ある牧師は自分の仕えている教会の信徒との間でセクハラ問題を起こし、牧師を解任されました。これは平和で豊かな時代に当教団が進む中で生じてきたむずかしい課題であります。

Ⅵ.将来への希望はあるのか

 「それゆえ、信仰と希望と愛と、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(コリント信徒への手紙一、13:13)
 この聖句による希望というのはいつまでも残るものの1つとして記されています。わたしが所属している日本イエス・キリスト教団はじめプロテスタント教会に将来の希望があるのでしょうか。ないといえば不信仰のそしりをまぬがれません。かといって、あるというならどこに将来の希望を見い出すことになるのでしょうか。
1.ペンテコステ系の教会、カリスマ系の教会の勢い
 このようなプロテスタント教会は発展の一途をたどっています。世界的視野から見ますならば、現在、世界中の教会の⅔〜¾がペンテコステ系の教会であると聞いたことがあります。当初聞いたときは信じられませんでした。しかし、調べてみたところ、あながちウソではないことがわかってきました。ペンテコステ系教会の宣教と教会形成は、さらに発展しそうな活力に満ちています。指導者である牧師も、京都大学東京大学など卒業の高学歴の方々が立てられていることも稀ではありません。

2.カトリック系、プロテスタントキリスト教主義中学校、高等学校
 全国のその方面の学校の生徒数はおびただしい数となります。そのような学校で宗教教育にたずさわる教師によって、質の高い教育がされるならば、将来においてカトリック教会とプロテスタント教会に信徒が増えて行くことでしょう。そのためにはクリスチャン教師が多く与えられる必要性があります。
 ちなみに、わたしの家庭の5人の子どもの1人が名古屋学院名古屋高校を卒業し、現在東京神学大学大学院で学んでいます。2018年3月に卒業し、キリスト教主義学校において中学生や高校生に聖書を教える教師になることを希望しています。授業で徹底して聖書を教え、部活動においては陸上競技部ハンマー投げの指導に力を注ぎたいとの期待をもって、その日に備えています。

3.カトリック教会とプロテスタント教会が仲よくすること
 同じクリスチャンでありながら、カトリックの信徒とプロテスタントの信徒が交流している話がごく少ないのは悲しい現実です。祈りを共にしたり、文化的交流をしたりする場は、ないものでしょうか。かつて名古屋朝祷会の祷友の中に大野宏兄(故人)と竹谷とき子姉とがいらっしゃいました。この二人はカトリック信徒でした。人格においても信仰においても魅力ある方々でした。そして、教派を越えてカトリック信徒とプロテスタント信徒が共に祈ることに力を注いだ方々でした。ちなみに竹谷とき子姉のご子息二人のうち、一人はプロテスタント教会の牧師となり、もう一人はカトリック教会司祭となられました。エキュメニカルの運動を地で行き、実を結んだというのが竹谷とき子姉の歩みであられたようにお見受けしたのですが、いかがなものでしょうか。