風間サク姉召天記念宣教 『二つの事実、そのいずれも』 −静かで穏やか、勇敢で高尚な生涯に学ぶ−

風間サク姉召天記念宣教
『二つの事実、そのいずれも』
−静かで穏やか、勇敢で高尚な生涯に学ぶ−

[1]序
 本日私たちは、風間サクさんの召天記念の集いのために、この特別な場所に集まっております。ご家族をはじめ、長年の友人や知人など様々な背景で風間サクさんと人生の歩みを共にする特権に与った一同が、サクさんを記念する一つ思いを持って集っているのです。
今、私の心にある思いは、「ここに人あり、その名は、風間サク」の一事であります。
 聖書で、そうです、風間サクさんを母の胎内に奇しく美しい奇跡の存在としてかたち造り最後の息を充実感に満たされながら引き取る瞬間まで生涯を導き支えくださった、生ける、真の神ご自身のことばである聖書(イザヤ46章3,4節)を目がねとして、風間サクさんの生涯とその頂点であり花道である死の尊さの事実を深く豊かに読み解きたいのです。

 この目的のため選びましたのは、新約聖書ヘブル11章20−22節。その中でも、特に20節に焦点をあわせます。
 まずヘブル11章20節を私たちそれぞれが「私の風間サクさん」を覚えながらゆっくりお読みします。
「信仰によって、イサクは未来のことについて、ヤコブエサウを祝福しました。」
イサクは、今から約4千年前、イスラエルで生涯の営みを重ね、死に臨んだ人物です。

[2]風間サクさんの誕生
 お手元の故人略歴に簡潔に紹介されています。
風間サクさんは、1920年、つまり大正9年、新潟県の現南魚沼市で、篠田ご夫妻の長女として誕生なさったのです。そうです、実に大正、昭和、さらに平成を生き抜いてこられたのです。この一事からだけでも、私たちは風間サクさんに敬意を払い、心の中で拍手を送りたい思いです。いや心の中だけでなく、キリストの花嫁として結婚式場を退場、新しい復活のいのちに与る人生の頂点を思えば、実際に拍手をしたいほどではありませんか。

ところで1920年、大正9年誕生の時代背景は、ただ事ではありません。
1920年、大正9年は、どんな年だったのでしょうか。ごく簡単な年表にも、
「世界大戦後の恐慌・大不景気来る、取り付け、休業銀行、169銀行にのぼる」と記しています。
世界大戦と言っても、1945年に終結した私たちがよく知っている第二次世界大戦ではないのです。
1914年から1918年までの5年間、ヨーロッパを中心に吹き荒れた第一次世界大戦です。 
日本はと言えば、戦闘地域から遠く離れた安全地帯で、生産したものをどんどんヨーロッパの国々に輸出でき、好景気にわきあちこちに戦争成金が生まれたのです。
 ところが1920年には、好景気は一転、大変な不景気が日本全体を襲いました。
しかもサクさん誕生当時の日本では、不作やさらに飢きんさえ珍しくなく、人々の生活を苦しめていました。
 ところがサクさんが誕生した年は、新潟では不作の後の豊作で、ご両親は、その喜びを、長女誕生の大きな喜びと重ねて、ほうさくのさくをとって、長女の名前となさったと聞いております。暗闇の中にも、なお光輝くと、長女誕生を祝われたご両親の心意気が伝わってくるではありませんか。

[3]静かに祈り続けた激動の生涯
 再び個人略歴に意を注ぎたいのです。
生涯
「1944年 六日町中学校教師風間正富と結婚。一男二女の母となる。
 その後キリスト教の洗礼を受ける。牧師となった夫と共に各地の教会に赴任。」
  
そうです。風間サクさんは、1944.昭和19年中学教師・正富先生と結婚なさったのです。そして正富先生を通してキリスト信仰に導かれ、キリスト教の洗礼を受けました。厳しい戦時下とは言え、若き中学教師ご夫妻の新婚生活が目に浮かびます。
ところがです。正富先生は、中学教師から牧師に転じたのです。まず家庭にあって正富先生は、妻サクさんに神の祝福の約束をしっかりと教え、サクさんもまた伝えられた神の祝福をしっかり受け継がれました。
お二人のご家庭は、最高の教会であり、この上ない学校で一男二女3人のお子様が生まれ、成長し続けたのです。
しかし同時に、風間サクさんは、中学教師夫人としてのそれなりに安定した生活から牧師夫人の厳しい生活への激変を経験なさったのです。
戦時下、キリスト教は敵国の宗教だとの大きな誤解を受ける中でも、ひたすら伝道に専念する夫・正富牧師を助け、家庭生活の実際面すべてを支えるサクさんのご苦労はどれ程のものであったでしょうか。しかも郷里を離れ栃木の各地の教会に赴任する、その事実の意味するところは私たちの想像にかたくありません。

しかもそれだけではないのです。
「1967 年 夫の設立した社会福祉法人弥生会を夫の召天後に継承。
 保育園園長に従事し後に理事長に就任。
2000 年 社会福祉法人弥生会理事長を退任」
1967年、未だ壮年の正富先生が突然召天なさった後、夫の設立した社会福祉法人弥生会を継承、保育園長に従事し、後には理事長に就任されたのです。
そうです。家庭を守り、三人の子弟を守り養育、教会に仕え続ける生活に加え、齢(よわい)47歳にして、大きな社会的責任を新しく直接に担われるに到ったのです。

最初にヘブル11章20節の朗読を通して紹介いたしました、イサクはどちらかと言えば地味な人です。しかし彼は信仰の人でした。旧約聖書創世記25章20節によると、イサクがリベカと結婚したとき、彼は40歳でした。
創世記25章26節によれば、エソウとヤコブが生まれたとき、イサクは60歳に達していたとありますから、不妊の妻リベカのために、彼は20年にわたって祈り続けたのです。
そうです、一事のため、20年にわたりイサクは祈り続けたのです。比較的目立たない人物とは言え、イサクはこのような生き方をした人でした。

私たちの風間サクさんもどちらかと言えば地味な方です。しかし同時に信仰の人でした。ひとりの人のため、ひとつのことのため、20年静かに祈り続けた方なのです。
2000年理事長を退任するまで20年、30年、そして退任後も生涯にわたって静かに祈り続けた方なのです。

[4]旅立ちの床で
略歴の最後、生涯の頂点、復活の希望への花道です。
「子ども3人、孫5人、ひ孫1人に見守られ、生涯を終え天に召される。」 

風間サクさんは、正富先生との家庭と教会において神の約束を聞き学んだだけではありません。飢饉という自然の猛威にも比較できる困難のなかで、神から直接祝福の約束を受けたのです。また在留外国人として受ける仕打ちを思わせる苦しみを受け続けた後も、風間サクさんは神の約束のことばに堅く立ったのです。こうしたイサクの生涯を思い巡らしながら、創世記26章25節のことばを通し風間サクさんの生涯・死の深さを味わいたいのです。
「イサクはそこに祭壇を築き、【主】の御名によって祈った。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべらは、そこに井戸を掘った。」
これこそ、世俗のただ中で、主なる神にある家庭、教会が建てられていくあり様です。
風間サクさんもご自身の天幕を建てる必要があり、それなりの苦労があったのです。飢饉や人々の圧迫という現実の生活を通して、主なる神から直接祝福の約束を聞き、その約束に立つ者として祭壇を築きイサクもそして風間サクさんも祈るのです。このとき初めて自分なりの天幕を張ることができるのです。平凡で地味に見える風間サクさんも死の陰の谷を歩み続けて来られたのです。その厳しい現実のただ中で、自分だけでなく、子孫への神の祝福の約束を直接聞き取っていったのです。 
そのような生涯の歩みの裏づけがあって初めて、その結実としてのヘブル11章20節が生涯の頂点に置いて現実となっているのです。
 ヘブル11章20節を、もう一度ゆっくりお読みいたします。
「 信仰によって、イサクは未来のことについて、ヤコブエサウを祝福しました。」

パリから駆けつけた長女を含め一男二女、孫5人、さらにはひ孫一人にさえ見守られ支えられた日々。それは、風間サクさんの激動の人生の頂点としての病床に於ける静かな日々でした。確かにこれは誰でもが認める一つの事実です。
しかしもう一つの確かな事実があり、今、私たちはその事実をはっきり見抜く必要があります。まさにそのための記念会なのです。
そうです。サクさんも、イサクと同様に、ご家族一同の未だ来らず、将に来らんとしている今後の日々のため祝福を祈っておられたのです。
 このサクさんの祝福の祈りが今後のご家族一同を支えます、必ず支えます。支えられていたサクさんが、実は、旅立ちの床で、ご家族の未来をすでに支えておられたのです。
 風間サクさんの生涯、それは静かで穏やかでありながら、しかし同時に実に勇敢で高尚な生涯です。
二つの事実、そのいずれをも見抜く風間サクさんの洞察力。二つの事実に耐えて身に受けるサクさんの率直さ、賢さ。
 私たちも、物事の一面だけでなく両面を。一部だけでなく全体を見抜く修練を重ねたい。汗と涙を流しながら、サクさんのように、持ち場・立場に踏みとどまりつつ風間サクさんのような生涯を送り、また死を迎えたい。静かで穏やか、同時に真に勇敢で高尚な生涯と死を迎えたいではありませんか。
 それこそ、「ここに人あり、その名は、風間サク」を記念することになるのです
最後に、風間サクさんの愛読聖箇所を、心を込めてお読みします。
これこそ、風間サクさんの生涯と死の基盤であり、死の彼方の希望の土台なのです。
繰り返される「しかし」の前と後の鋭い比較に注意し、二つの事実のいずれも認め、その上で「しかし」以下の恵みの事実に心注ぐのです。

コリント人の手紙 第二 4章8−10節(一部宮村の訳し換えで)
「:私たちは、四方八方から苦しめられます。しかし窮することはありません。
途方にくれています。しかし行きづまることはありません。
迫害されています。しかし見捨てられることはありません。
倒されます。しかし滅びません。」
いつでもイエスの死をこの身に帯びています。
それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。」

お祈りします。
 風間サクさんを、母の胎内で奇しく美しい存在として形造られ・創造なさった、生ける真の神よ。
 風間サクさんが祈られたように、ご遺族一人一人の将来を祝福し、守り支えてください。
またこの記念会に参加した私たちの未来を祝福ください。
 主イエス・キリストの御名によって、アーメン。