2017年パウロ会、その6 故鈴木勉夫人・鈴木初枝さんからの便り


2017年パウロ会、その6
故鈴木勉夫人・鈴木初枝さんからの便り

★今年もパウロ会、制約を抱えながら持つことが出来ました。
改めて、鈴木勉聖公会司祭・開成の先輩を覚えます。引っ越しを重ねてきた中でも保持することの許された手紙の中に、故鈴木勉夫人・鈴木初枝さんからの便りがあり、時を越える恵みを確認しました。

「主のご降誕を待ち望む季節となりました。
 みめぐみのうちに、お健やかにお過ごしのことと存じます。
 実は連絡が遅れて申し訳なかったのですが、去る11月17日午前9時20分、夫鈴木勉が召されてゆきました。63歳でした。
 同封させてさせていただきました「福音と生活」の記事にありますように、昨年7月胃癌と診断されました。すでに肝臓、リンパ節への転移がみとめられていたのと、何等の自覚症状もみられなかったため丸山ワクチンのみで、今年の5月ごろまでは疲れやすくなったほかは、ほとんど普通にすごしておりました。6月頃から食事がとれなくなり、痛みも少しづつ強くなってきたため、鎮痛剤と点滴での栄養補給をはじめました。体力は日毎に落ちていく様子でしたが、痛みはおさえられ何とか小康状態で、このまましばらくは大丈夫と思っておりましたところ、9月4日急に発熱、意識混濁、血液低下があり、緊急入院いたしました。敗血症を起こしたとのことで、1,2日が危険と言われましたが、その時は何とか持ち直しました。
 その後亡くなるまで約2個月半、その間9日ほど外泊し園長室の整理、引継ぎ、園の運動会への出席など、車椅子で、酸素と点滴と痛み止めの麻薬を使いながらも楽し気に過ごしておりました。
 
もう一度外泊したいと申しいておりましたが、やせるだけやせて骨と皮膚になったからだはあちこち痛み、自分の手足も思うように自分で動かせなくなり、とてもかなう事ではありませんでした。
 腹水とむくみで重くなった身体を、それでも必死に立ち上がり、肩をかりてトイレにまで歩く姿、それも自分が一人の人間であるということを自分に確認させる姿だったのでしょうか。それは、死の数日前意識がほとんどなくなるまで続きました。
 最後の数日は痛みもなく、おだやかに息を引き取りました。生前のご厚情心より感謝申し上げます。
 先生からのお便り、パウロ通信拝見しまして、お便りしなければと申しておりましたが、身体がいうことをきかず、とうとうできませんでしたことお許しくださいませ。

 生前自分の生きてきた道をまとめたいとしきりに話しておりましたが、病気の進行が早く、ワープロを打つこと、考えをまとめることが出来にくくなり、知人の力をかりて、インタビューをまとめてもらい、このような本になりました。御笑覧の上、故人をしのぶよすがとして下されば幸いです。
 お働きの上に、そしてご家族の上に、神様のお恵み豊かにありますように。
 よきクリスマスをお迎えくださいませ。かしこ。
      
12月5日      鈴木初枝
宮村武夫先生