キリスト教一致祈祷会、恵みは個人的な交わりのレベルにおいても

キリスト教一致祈祷会、恵みは個人的な交わりのレベルにおいても

宇都宮キリスト集会の歩みにとって、毎年1月に持たれるキリスト教一致祈祷会は、当日の祈祷会に参加すること自体が大きな祝福です。
 しかし祝福は、公同の集会のレベルだけでなく。年月を重ねていく中で個人的な交わりにおいても深い意味を持つようになっています。
例えば、加藤玲子姉。病の現実の中にも、静かに、生き生きと他の方々へ開かれるいる生き様に毎年お会いする度に深く慰められています。
 今回、以下のような生活の証を書いてくださりました。お取次ぎします。

「加藤 玲子 プロフィール
・1941年3月 仙台市生まれ
・1976年より宇都宮市在住
・46歳の時胃がん、その後乳がん、肺がん2度と計4回がんの
 手術
・がん患者と家族の会「たんぽぽの会」会長、他に済生会病院上都賀総合病院(鹿沼市)などでボランテイア活動
・41歳の時洗礼を受けるも教会に行かない時期が10年ほどあった。その後自分が生かされていることに気付き、教会の活動に参加するようになった」

また逢う日まで
                日本キリスト教団 宇都宮教会
                        加藤 玲子
 2017年2月2日の午後1時30分頃、私の一番の親友、通称
のんちゃんが、東京の目白通りを一人で歩いていて不意に崩れ(大動脈解離性胸腔内出血)帰らぬ人となりました。 
 50年以上の長い付き合いで、8年前にご主人を亡くしてからは、身寄りのない一人暮らしの彼女のマンションをたびたび訪れていました。私が月に一度上野の病院に薬を取りに行く時に、都合の良い定宿でした。よく新宿のデパートでショッピングを楽しみ食事をして、とりとめのないおしゃべりをしました。
 宇都宮の友人には、東京に隠れ家があり3,4日泊ってくるのよと自慢していました。1月の末にも29日まで3日ほど泊まり、いつものパターンで過ごし特別変わったことはありませんでした。「80まではこうやって遊べるよね」と言って別れたのでした。 
 2月2日の午後3時ごろ、マンションの管理人から電話があり、「驚かないで下さい。橋谷さんが亡くなりました」と知らされましたが、何があったのか理解できませんでした。
 私がのんちゃんの遺体と対面出来たのは、4日の午後野方のグリーンホールという小さな斎場でした。私ひとりだけで他には誰もいませんでした。のんちゃんは、いつもと変わらぬ寝姿で清らかでした。その姿を目にしたとき、これが彼女の“死の時”だったと理解できました。いつも「のんちゃん、自分で人生の幕を引くことはできないよ」と言ってきた私ですが、彼女の見事な幕引きに脱帽です。

買い物の路上静かに崩れ逝く
        その人らしき不思議な旅立ち

    先週はともに遊びし新宿を
             いま友亡くて吾ひとりゆく」